江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(1837~1913年)の玄孫(やしゃご)にあたる主婦、山岸美喜さん(57)=名古屋市=が、明治期に創設された「徳川慶喜家」の5代目当主として、「墓じまい」と、慶喜の遺品を中心とした史料の寄贈先探しに取り組んでいる。
8年前に病没した4代目当主の叔父から遺言で慶喜家の財産を全て引き継いだ。
一般の墓や遺品とはケタ違いの規模で、個人が永続的に管理するのに限界を感じて、慶喜家を終わりにする決意をした。
「最後の当主として多くの人に、より慶喜を知ってもらう形にしたい」と願いながら落ち着き先を模索している。
4代目である叔父から引き継ぎ
慶喜は1867年、幕府から朝廷に政権を返還する「大政奉還」で第十五代の将軍職を辞した。
明治に入ってから、徳川宗家(本家)の下、静岡や東京で隠居生活を送ったが、1902(明治35)年に、華族最高位の爵位「公爵」を授かった。この際、徳川慶喜家として宗家から分かれた。
慶喜を初代当主として4代目の故慶朝(よしとも)さんまで男性が継いだ。慶朝さんは結婚歴はあったが離婚して独身となり、2017年に闘病の末、67歳で亡くなった。
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