金井氏は明治学院のチャプレンとなって5年を過ぎたころから、沖縄の問題に言及することが増えていったという。
「沖縄は本土の犠牲になった」「(沖縄戦を経験した)おじいや、おばあのために」。教会の説教でも頻繁に沖縄に触れ、「かりゆしウエア」のシャツを好んで着るようになった。
金井氏の知人によれば金井氏は女性問題をきっかけに明治学院側との関係がこじれ、18年3月の任期満了をもって退任することになった。同じ年、沖縄県南城市の佐敷教会に赴任。その後、当時の妻と離婚し、辺野古での抗議活動の先頭に立つようになる。
知人は「沖縄に肩入れするようになった経緯は分からないが、家庭、職場と帰る場所をなくし、向かったのが沖縄だった」と振り返る。そしてその人物像について、こう持論を述べた。「何者かになろうとしながら、それまで軸になるライフワーク、生き方を持っていなかった。沖縄での社会運動がそこに収まったのではないか」
https://www.sankei.com/article/20260618-R4A7K7WRVVO6VIT34WV4AEVP2Q/
