地下鉄サリン事件の時、公務員毎日定時帰宅の親父が、帰って来なかった。
— モリ1200 (@MORI1200) March 20, 2025
ナチュラルに 親父が事件起こしたのかと思った。
実際は微量分析のプロで、命懸けで「これサリン」を特定した人たちの1人だった。
人は見かけによらぬものだ ってことを学びました。
謎の液体がしみ込んだ脱脂綿は3重のポリ袋に保管されていた。緊急鑑定を行うと、猛毒ガスを示すアルファベットがモニターに浮かび上がった。
〈Sarin〉。1995年3月20日、時刻は午前9時34分。液体は東京都内を走る地下鉄の車両から採取されたものだ。複数の駅で乗客が倒れているという通報が相次いでいたが、原因は不明だった。
モニターを前に、警視庁科学捜査研究所研究員の 服藤はらふじ 恵三さん(67)=当時37歳=は驚がくした。「サリンは人を殺すためにしか使われない。そんなものが都心でばらまかれたのか」
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250308-OYT1T50198/
