こないだ飛行機から見かけて空から見たらあまりに鮮やかで驚いたカリウム濃縮施設。Googleマップでも相変わらず鮮やかで驚いた。アメリカの農業を支えてるのは肥料を作るためのこういう施設なんだなぁと。 pic.twitter.com/6lkXbwAZyf
— あひるさん (@5ducks5) August 22, 2024
こないだ飛行機から見かけて空から見たらあまりに鮮やかで驚いたカリウム濃縮施設。Googleマップでも相変わらず鮮やかで驚いた。アメリカの農業を支えてるのは肥料を作るためのこういう施設なんだなぁと。 pic.twitter.com/6lkXbwAZyf
— あひるさん (@5ducks5) August 22, 2024
オーストラリア人は日本の捕鯨にうるさかった割にカンガルーを年間で数百万も駆除してるが「カンガタリアニズム」という都合の良い菜食主義があるらしい。シーシェパード全盛期の2010年に誕生、土地や水が要らず家畜と違い少メタン排出、カンガルー肉を加えた菜食は環境に良い(どうせ殺すし)との理論 pic.twitter.com/PtCJRfZVyy
— ロアネア@最多情報源バズニュース (@roaneatan) August 22, 2024
みんなー!良い案があったら教えてくれ!
— ቺቻቺቻ熊ਟꩢ (@sa1o_kuma) August 20, 2024
このレベルで米に虫が湧いたのは初めてだ、ふるいに掛けて虫落としてから食うしかないのか!?
動画は1合だけどまだ10kgある。 pic.twitter.com/7bdOVDXwxq
セーヌ川で泳いだ選手の10%が胃腸炎に…パリ五輪出場アメリカ・トライアスロン選手の調査で判明「高い割合」指摘も
セーヌ川の汚染が指摘されていたパリオリンピックでトライアスロンに出場したアメリカの選手のうち1割が胃腸炎を発症していたことがわかりました。
これはアメリカの医療専門サイトが21日、アメリカのオリンピック・パラリンピック委員会の医療責任者、ジョナサン・フィノフ氏の話として伝えたものです。
全文はこちら
https://www.fnn.jp/articles/-/747008
【判明】ベーリング海から消えたズワイガニ数十億匹、温暖化による餓死だった
米アラスカ州沖のベーリング海に生息していた数十億匹のズワイガニが2022年に一斉に姿を消した理由について、米海洋大気局(NOAA)は21日、ズワイガニは海水の異常な温暖化の影響で代謝が過剰になり、餓死したという調査結果を発表した。<中略>
しかし2018~19年にかけての海の温暖化はズワイガニにとって致命的だった。海水温度の上昇に伴いカニの代謝が上がったにもかかわらず、それに追いつけるだけの餌はなかった。
全文はこちら
https://news.livedoor.com/article/detail/27035490/
JR市ヶ谷駅側のお堀の色が 大量のバスクリンを入れたかの如くエメラルドグリーンになってますの pic.twitter.com/rT0Y0Hk8TM
— ヤジャ (@yaja_0811) August 21, 2024
熊本県「天草の滝付近で川遊びをした46名が体調不良になった」
— ゆるふわ怪電波☆埼玉 (@yuruhuwa_kdenpa) August 20, 2024
天草保健所「水質検査をしたけど原因わからん」
これ怖すぎ
一体なにが原因なんだ
時代が時代なら村の長老によって人喰い滝として語り継がれていくレベル pic.twitter.com/W1zkhXsP50
市ヶ谷、渋谷、千駄ヶ谷…
— たくてぃーに (@Tactini) August 21, 2024
ちゃんと谷の名のつくところが冠水してる
地名は侮れない
じゃあ麻布十番は?と思って地名の由来をググったら江戸時代の「河川改修の工区番号」という説が出てきて驚いた、本当に地名は面白い pic.twitter.com/MgDZV8w8CD
新宿駅のサイネージ水没死してた、合掌🙏 pic.twitter.com/fPBwKWxeOD
— ino (@ino_jdimshg) August 21, 2024
ここ最近、交通広告業界では横に長―い大型サイネージブームが来ているようで、全長20mの東急渋谷駅の「渋谷ビッグサイネージプレミアム」、全長40mの大阪メトロ梅田駅の「メトロ梅田ビジョン」と続々と登場しておりますが、ついに「メトロ梅田ビジョン」の40mを抜いて新設のJR新宿ウォール456が世界最長のサイネージとなります。
全文はこちら
https://shunkosha.co.jp/column/ad-board/column-40637
新宿でゲリラ豪雨によるエアピストン現象で吹き飛んだというマンホールの蓋を見たけど、すごい割れようだなあ。 pic.twitter.com/1uVk8IcBnL
— 乙城蒼无(Otusiro, Aomu)@C104_8/12(月)フ21a (@aomu) August 21, 2024
用事を足しに新宿来たらこんなことなってる。
— 水戸部望広 (@mitobemihiro) August 21, 2024
新宿大ガード前が危ないので気をつけて。 pic.twitter.com/GJ1P0n5YXN
品川駅、ホームに降りるためには滝を潜り抜けなきゃいけなくなっとるw #ゲリラ豪雨 #品川駅 pic.twitter.com/wL2z4Ni5Ww
— ゆい (@yui_kun) August 21, 2024
登山者「彼女が具合が悪い 宿をとってほしい」
— ゆるふわ怪電波☆埼玉 (@yuruhuwa_kdenpa) August 21, 2024
救護所「診療はするけど宿は自分でとれよ」
登山者「わたしが悪いっていうのか」
これ助ける必要あるか??? pic.twitter.com/igMBCzKwsx
京大実戦ウネウネ解いてたら頭痛、喉の腫れ、発熱し始めてギガしんどいなあと思いつつ頑張って家帰ったら熱40度あったのでメガ寝します
— テクニックで翻浪 (@ronin_technic) August 18, 2024
明日生きてますように
病院行ったらとりあえずコロナインフルでは無いらしくて安心したんだけど、それでも医者に
— テクニックで翻浪 (@ronin_technic) August 20, 2024
「僕浪人生なんですけど、やっぱり人にうつさないように予備校は行かない方がいいですよね?」
って聞いたら
「浪人生は蹴落とすのが仕事です」
って真顔で一言言われてガチ戦慄してる
こんにゃく販売価格の急落で離農が相次いでいるとして、JA群馬中央会と県農協農政対策本部は19日、農家への損失補塡(ほてん)など緊急支援策を山本一太知事に要請した。農協によると、こんにゃくの原料となる生いも(コンニャクイモ)は30キロ当たりの生産費が4300円程度かかるのに対し、2022年産までの過去10年の販売価格の平均がほぼ同じ4328円で、さらに23年産は3003円に落ち込んだ。「生産するほど赤字」の窮状という。【田所柳子】
17年前に就農した渋川市上白井の八高啓輔さん(39)は12ヘクタールでコンニャクイモのみを生産する農家で、大きな打撃を受けた。「借金して機械を導入し、コスト削減と生産性を上げる努力をしてきたが、昨年の販売価格下落でそれが一気に吹き飛んだ」。価格を上げたくても、こんにゃくの生産業者からは「在庫がある」と言われてしまう。今年も安くなる見通しといい、「振り返れば昨年がこんにゃくの大きな転換点になるかもしれない。農家がさらに離農すれば中山間地の農地自体が減り、食の安全保障上も重大だ」と懸念する。
県内では利根沼田、渋川などを中心にコンニャクイモを生産する。生産面積はかつての約5000ヘクタールから約3000ヘクタールに減り、農家数も08年の1800戸超から22年の800戸弱に半減した。販売価格は人口減少や食生活の変化による消費の落ち込みで長期的に下落してきたが、長期保存が可能なこんにゃく粉が過剰在庫化し、昨年は値崩れした。生鮮食品でないため、コロナ禍の影響が一足遅れて出たとも言われている。輸出は拡大しているが限定的で、人件費や肥料、農薬、畑作業に使うビニールなどの高騰も打撃となっている。
群馬はコンニャクイモの生産が9割以上なのに、消費量は全国平均以下という。JA群馬中央会の担当者は「従来も高齢の3ヘクタール以下の小規模農家が離農するケースはあった。しかし去年くらいから10ヘクタール以上の大規模農家でかつ50代くらいの中堅農家が生産をやめるケースが目に見えて増えた」と懸念を示す。
全文はこちら
https://mainichi.jp/articles/20240820/k00/00m/020/192000c
街の衰退を食い止めるべく作られた遊園地の十数年後の姿 pic.twitter.com/Nr0dw3aTxt
— ZAKI (@XGongyou93308) August 20, 2024
石炭の歴史村(せきたんのれきしむら)は、北海道夕張市にあるテーマパーク。 広大な夕張炭鉱の跡地を利用して造られた。 マスコットキャラクターは「ゆうちゃん」。
歴史・概要
1977年(昭和52年)の北炭夕張炭鉱新第二炭鉱の閉山決定に際し[5]、当時の夕張市助役の中田鉄治が構想して「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして周囲を説得し、事業が開始されることになったものであった[6]。同鉱に存在した石炭大露頭や旧天竜坑を用いた模擬坑を観光資源として活かした石炭博物館を中心に1978年7月に新第二炭鉱跡地15ヘクタールにて着工された[5]。
1980年(昭和55年)7月に運営母体の第三セクター「石炭の歴史村観光」を設立して[1]同月に一部施設が開園し[3]、1983年(昭和58年)6月1日には[4]遊園地なども含めて全面的に開園した[6]。
構想を立てた中田鉄治は1979年(昭和54年)から2003年(平成15年)まで6期24年間夕張市市長を務め、当事業を含めた炭鉱閉山後の地域活性化策を推進した[7]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%82%AD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9D%91
ヤマト運輸の社員が1人でスト
— ゆるふわ怪電波☆埼玉 (@yuruhuwa_kdenpa) August 20, 2024
社員「倉庫の気温は40℃を振り切ってた」
ヤマト「その気温計は壊れていて実際は36℃だった」
草
ホントか?
今の季節の倉庫労働は空調ががっつり効いてない限り相当辛い pic.twitter.com/SsY5noo2n0