ウクライナに対するロシアの侵略戦争が始まってから、とうとう1年という歳月が流れた。日本のテレビ報道は、この時間の連なりの中で、今、さまざまな変化を要請されているように感じる。記者が現地に入りましただけの報告では、なぜこの戦争が今も続いているのかの理解に資するのが難しくなっているのではないか。そもそもこの戦争がなぜ起きたのかの深い掘り下げが、これまでの日本のメディアで十分だったのか。僕自身、自戒を込めて考え続けている。もっと多様で多角的なアプローチがあったはずではないか。
この1年間、頻繁にテレビに登場した「最多出場者」は、現下の戦況を分析する軍事問題の専門家とされる人々だった。とりわけ防衛省所属のシンクタンク組織、防衛研究所の研究者たちは引っ張りだこだった。刻々と変わる戦況について、わかりやすく解説する。それはそれで必要な役割を果たしたのだろう。ただ、長期化、泥沼化の様相を見せつつあるこの戦争を、今後、戦況面だけから報じることには限界があるのではないか。
僕個人が注目しているのは、歴史家と文学者、アーティストの役割、そして名もなき市井の人々の声を引き出すジャーナリズムの働きである。国家のリーダーたちの言動ではない。主語は国家ではなく、人間であるべきではないか。
https://mainichi.jp/articles/20230225/dde/018/070/007000c