平野啓一郎 Keiichiro Hirano
@hiranok
どうしてみんな、文学に関して、作者がAIに取って代わられることばかり心配して、読者がAIに取って代わられることを懸念しないのか? 現在、猛然と進んでいるのは、むしろ「読む」という行為をAIが代替して、人間が自分で読まずに要約を受け取るような状況。影響力の規模的には、こちらの方が恐らく深刻だろう。本好きは勿論、自分で読み続けるだろうが、『魔の山』とか、一番読んでいるのは、今や人間ではなくAIではないか。
午後11:24 2026年3月9日
https://x.com/hiranok/status/2031013241443291365
人間の読書には、どうしても避けられない限界がある。どれほど多くの本を読めるのかを自分で確かめていく過程は、それ自体が胸の躍る体験でもある。試験勉強に没頭していた頃、わたしは「すべてを読んだ人」に近づく道を歩み始めたような気がしていた。しかし重要とされる作品を相当数読んでいるにもかかわらず、世の中に存在する膨大な本のほんの一部にしか触れていないという事実を、どうしても意識せずにはいられなかった。
大学の図書館は、どこか滑稽に思えるほど巨大だった。地下にもいくつもの階層があり、奥深い書庫に進むと照明がかすかに明滅している場所もあった。そこには、少なくとも近年は誰にも読まれていないのではないかと思える本棚が、静かに並んでいた。
振り返ってみれば、読書にはもう一つ別の種類の限界があることにも気づく。それは記憶力の限界だ。たとえば、妖精の女王を確かに読んだはずなのに、今になって内容をどこまで思い出せるだろうか。物語の要点は覚えていても、細部となると心もとない。そうした経験を重ねるうちに、わたしは中年になってから、かつて読んだ偉大な本を読み返すことに、新しい本を探すのと同じくらいの時間を費やすようになった。幼年時代や少年時代、青年時代といった作品を再び手に取ることは、過去の読書体験を確かめ直す営みでもあった。
では、AIはこうした人間の読書の限界に挑戦する存在になり得るのだろうか?
https://wired.jp/article/sz-whats-happening-to-reading/
