日本人が見過ごす「精神科の闇」…なぜイタリアは精神科病院を全廃できたのか?有名カリスマ精神科医が起こした「大革命」
改革の手始めに、ガザーリアは自分の考えに賛同してくれる精神科医や精神科の看護師、臨床心理士などの同志を集めた。その後、精神病院の病床数を減らして、できるだけ入院させずに普通に外で生活させるような仕組みの構築を目指した。
当時約800人の入院患者がいたが、バザーリアは猛烈な勢いで退院させていった。
「1963年から68年までの5年間で入院患者を300人にまで減らし、家族のもとに帰れない人には住居を用意しました。300人のうち、医療が必要ない人たちを『オスピテ』(イタリア語でお客という意味)と呼び、完全な自由と食・住を保証し、入院者と区別したのです。
これはのちにイタリア全土でも採用されました」
WHOも認めた地域精神保健システム
そして1980年、改革の中心だったトリエステは、精神科病院が完全に消えた世界初の都市になった。
当時、トリエステ以外の地域では、まだ旧来の県立精神科病院が残っていたが、これも以後の19年間で少しずつ機能を停止し、1999年3月に当時の保健大臣は、イタリアの精神科病院が完全消滅したことを宣言した。最盛期12万人もが収容されていた精神病棟が消えたのだ。
https://gendai.media/articles/-/140795
