台北で日本人記者から聞いた話。台湾から来たエンジニアに回転寿司を奢ってあげたと、ドヤ顔で自慢をする熊本のおじさん。けれど相手はTSMCのエリートで、年収2000万クラス。空回る善意と無邪気さに、取材で居合わせた記者が、いたたまれなくなったらしい。 pic.twitter.com/9YGKf3caRw
— 池田リリィ茜藍 (@ikeda_lily) July 19, 2025
・参考
日中通訳者・池田リリィ茜藍が読む『台湾生まれ 日本語育ち』(温又柔著) 「言葉を持つ」ということ
3歳の時に生まれ故郷を離れ、東京で育った温にとって、国語というような概念は複雑味を帯びる。母語と母国語が同じである多くの日本人には、母語と国語の違いも意識しづらいかもしれない。響きあう言葉たちの中で、最も自在に操れる日本語を、彼女は自分の「母国語」だと素直に呼べない。
複数のルーツを持つ者にとって、出身とは単なる地名ではなく、魂とつながる場所のことである。故郷とは、心のよりどころであり、謳(うた)い上げたい賛歌である。場合によっては自ら選択し、更新することさえ可能だ。名前、血統、言語運用能力だけで属性をくくることは、本人の生き方まで狭めてしまう。多様なアイデンティティーに対し、誰もができることは「常にオープンな気持ち」でいること、そして「決め付けない」ということかもしれない。
https://www.sankei.com/article/20160529-J56HKESBONPKBGQWBA54W6ILJ4/

