おう、君が今度タイに行くっていう新入りの駐在員か。
— TAKU@バンコク (@takum_bkk) December 3, 2025
いいか、初駐在がタイなんてのはな、“駐在ガチャ”大当たりだぞ、大当たり。
いまやどこへ行っても日本食ブームで、寿司だのラーメンだの行列だ。
「タイは親日国だなぁ」なんて、まあ君ら若いのは思うだろうがな↓ pic.twitter.com/pspTGGpeZ5
1970 年代初頭、ASEAN(東南アジア諸国連合:the Association of Southeast Asian Nations)加盟諸国における日本のイメージは極度に悪化していた。日本は東 南アジアを「経済支配」し、新しい「大東亜共栄圏」構築の野心を持っているとの議論が公の場で語られるほど、日本の経済的搾取に対する域内の批判および警戒は高 まっていた。対日不信は、日本の非対称的な経済的パワーや意図の不確実性などから生じていたが、こうしたイメージの悪化は、日本という国家のみならず、日本国民 に対しても広がっており、日本人はしばしば「エコノミック・アニマル」と揶揄されていた。72 年のタイにおける日貨排斥運動や、74 年の田中角栄首相による東南アジ ア歴訪時に訪問先の多くで発生した反日デモ、さらには同首相のインドネシア訪問時に発生した反日暴動が示したように、上記の悪辣なイメージは、現地における日本人 や日系企業の経済活動を阻害することはもちろん、その生命・財産を脅かし得るほどに悪化していた。田中政権としても、ASEAN 諸国における日本イメージの悪化を深 く憂慮し、田中歴訪以前からその原因を調査していた。
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https://nagoya.repo.nii.ac.jp/record/21883/files/stums_8_1.pdf
