This is Kyudo (弓道), our ancient Japanese tradition passed down from samurai times for over 2000 years.
— 鈴森はるか 『haruka suzumori』 🇯🇵 (@harukaawake) April 14, 2026
In this modern age, seeing Japanese people preserve this pure samurai spirit makes us proud. Protect our traditions. 🎌 pic.twitter.com/5JCSfEvBGh
これは弓道(Kyudo)です。私たちの古代の日本伝統で、侍の時代から2000年以上にわたり受け継がれてきました。
この現代において、日本人がこの純粋な侍の精神を保ち続ける姿を見ることは、私たちを誇らしく思います。私たちの伝統を守りましょう。🎌
弓道経験者だけど、現在の和弓はでかくて射程が短くて精度が低いという武器としてはお話にならない代物なので(なにしろ射程はモンゴル弓の1/10以下である)、全く儀礼的なものとみるべきだろうし、本当に2000年前からあってこのありさまなんだとしたら、よほど我らが祖先は愚鈍だったのだろう。 https://t.co/IvPNYqnwHc
— 瀬川深 Segawa Shin (@segawashin) April 18, 2026
和弓に関する記述としては、上泉信綱伝の『訓閲集』(大江家兵法書を戦国風に改めた兵書)に、「弓は90メートル以上の内に用いる武器だが、54メートル以上(55メートル以内)より先は自分の技術が及ばないもの」としており、16世紀の弓の時点、特に実戦=動き回る敵相手では、55メートルまでが狙って射るものと記述している。最大射程とは別に、武士があくまで自己の技量にこだわった記述といえる。近世、120メートル先を狙った三十三間堂の通し矢の場合、あくまで動かない的であり、実戦とはかけ離れている。
軍記物であるため、誇張が考えられるが、『土佐物語』巻第十三「勝瑞の城没落の事」に2人の弓の名手の飛距離について記述がある。鶴津丹波守という武士がいたが、ある時、数百人が乗った敵の大船が鶴津の沖(現富岡郡窪川町大鶴津)へ寄せて来た。丹波守居城の上より例の大弓を持って、8町=約870メートルばかり沖の船腹を横様に射抜けば、潮が入って沈没し、敵は1人も残らず死んだ。このことで丹波守は「今為朝」といわれるようになった。もう1人は大高坂長門守で、大高坂城より小高坂城内へ内通事があって、遠矢を射たが、ちょうど小高坂の武士は食事中であり、飯椀に射当たった。両城の間は10余町=約1100メートルあった。
江戸時代に改良され登場した「弓胎弓」の最大射程は400メートル以上とされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%BC%93
