結局のところ、かつて自分が最も嫌悪していた姿になってしまった。
まだ若いといつも言っていたが、いつからか、 涙もろくなってしまった。
東南アジアを一人で長く漂泊していると、 明け方まで消えない明かりを数え切れないほど見てきたし、 誰も見向きもしない道を歩き、 自分だ
けが知る辛酸も経験してきた。 昼間はいつも平気な顔をしているが、 夜になるとふとした瞬間に、かつての自分を思い出す。
あの頃の私は、意気揚々として、 恐れを知らずに突き進み、 怖いもの知らずだった。 何かをする時も成功することしか考えず、失敗なんて考 えたこともなかった。 若さこそが資本であり、 最悪やり直せばいい、 どうせ人生は長く、負ける余裕も、 時間を浪費する余裕もあると信じて いた。
あの頃はいつも、 未来には有り余るほどの時間があり、欲しいものは遅かれ早かれ手に入り、 好きな人にもいつかは責任を果たせると思って いた。
しかし時間は、誰かの迷いなどお構いなしに進み続ける。
数年が過ぎ、 周りの人々は行き交い、 ある者は金を稼いで故郷へ帰り、 結婚し、とうの昔に私が羨んでいたような生活を送っている。 一方で 私は依然として異国を漂泊し、 見知らぬ通りで生計を立て、 深夜の部屋で明日の計算をし、 幾度とない希望と失望の間を行ったり来たりして いる。
ふとした瞬間に気づく。 自分はもう、あの頃のように恐れを知らず、熱い血をたぎらせていた少年ではないのだと。
今は何をするにも結果を考え、一歩踏み出すのに三歩先を案じ、 失敗を恐れ、 時間を無駄にするのを恐れ、 何より全力で拼命に頑張った末 に、結局何も残らないことを恐れている。
昔は、人生で最も怖いのは 「負けること」 だと思っていた。 今は分かる。 人生でより怖いのは、 まだ勝負したいと思っているのに、 あの頃の
ような全てを投げ打つ勇気がすでに失われていることだ。
「歳月は人を待たないが、 私もまた歳月を許しはしなかった」
しかし結局、 歳月は私を容赦してくれなかった。 最も心残りなのは、おそらく心の中に長く住み着いているあの人のことだ。
言いたい言葉がなかったわけではない。 ただ、いつも口先まで出かかっては、無理やり飲み込んできた。 好きではないわけでも、 誠実さが足 りないわけでもない。ただ、何も成し遂げていない自分の無様な姿を見ていると、たった一言の約束すら重く感じるのだ。
一体何をもって彼女を幸せにできるというのか?
漂泊して定まらない生活でか? それとも、うかつに手もつけられない銀行口座のわずかな残高でか? 自分の未来すら見えない人生でか? それ とも、いつ果たせるかも分からない 「そのうち」 という言葉でか?
私も考えたことはある。 お金持ちになったら、 生活が安定したら、あちこちを駆けずり回らなくなったら、 その時は真剣に人を愛そうと。 しかし人生に、そんなに都合の良いタイミングの待ち時間などあるだろうか。 時には、待っているうちに、自分でもあとどれくらい待てばい いのか分からなくなってしまう。
東南アジアの夜は暑いが、心は常に冷え切っている。 異国のネオンは通りを明るく照らすが、 未来に対する一人の人間の迷いを照らしてはく れない。ここには一夜にして大金持ちになる伝説もあれば、 全てを失って退場する現実もある。 酒を酌み交わす賑わいもあれば、 散会した後 に誰も声をかけてくれない冷徹さもある。
長く漂泊して初めて分かった。 いわゆる「遠い理想の地」 は、 常に詩と自由でできているわけではない。 多くの場合は、生活のために頭を下 げ、悔しさを腹に飲み込み、 本当はもう疲弊しきっているのに、 翌日にはまた這い上がって働き続けなければならないということなのだ。 「人生天地の間に在るは、 白駒の隙 (げき) を過ぐるが若し、 忽然たるのみ (人生は白い馬が走り去るのを壁の隙間から見るように、 あっと いう間である)」
昔この言葉を読んだ時は、ただ風雅だと思っただけだった。 今になってようやく分かる。 時間というものは本当に、知らず知らずのうちに、 希望に満ちていた (満腔の熱血を抱いた・・・) 人間を一一
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