▲浦項地震の被災者とボランティアが19日、慶尚北道浦項市北区興海邑の室内体育館の避難所に設置されたテントなどの施設を撤去しているところ。/写真=キム・ドンファン記者
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19日午前11時、慶尚北道浦項市北区の興海室内体育館。過去4年にわたり浦項地震の痛みを象徴してきた避難所で、テントの撤去作業が始まった。地震発生から1434日が経過していた。最近ようやく地震の被害が救済されることになったおよそ10人の被災者全員が、この日、避難所を離れることにしたからだ。体育館をぎっしり埋めていた広さ3.15平方メートル(0.9坪)のテント221張りが一つ、二つと畳まれていった。被災者のイ・スンオさん(75)は「テントや、きょうはお前らもみんな家に帰るんだな」と目を赤くした。
2017年11月15日に慶尚北道浦項で発生したマグニチュード5.4の地震は、1978年に韓半島で地震の観測が始まって以降、歴代2位となる強い地震だった。およそ5万5000棟の建物が被害を受け、およそ2400人の被災者が発生した。興海室内体育館の避難所には一時、およそ1180人の被災者が滞在した。その後、まず補償を受けたり新たな居所を構えたりした人が1人、2人と離れていった。昨年コロナが広まると、閉鎖的な体育館での感染を恐れた人々が避難所から抜け出していった。最近まで避難所に登録していた被災者は60世帯、154人いたが、実際に最後まで残って生活していたのは北区興海邑の「ハンミジャングァン・マンション」に住んでいた9世帯、およそ10人だった。
同マンションは2018年に浦項市の精密安全診断で、やや修理を必要とする「小破」判定を受けた。建築物の主要部分が破損50%未満、ということだ。ところが住民らは「建築物の破損の程度があまりにひどくて到底住めないレベル」だとし、市を相手取って行政訴訟を起こした。賃貸住宅に住むためには、完全に壊れて修理ができないことを意味する「全破」判定を受けなければならないからだ。被災者のユンさん(51)は「地震後、建物のあちこちが割れて、梅雨の時期に雨が降るとマンションの廊下でも傘を差さなければならないほど」だと語った。だが昨年7月、大法院(最高裁に相当)は「小破判定を下した決定に問題はない」として浦項市の肩を持った。落胆した被災者らは、体育館を離れられなかった。そこで浦項地震特別法に基づき、今年4-5月に被害救済審議委が2度の現場深層調査を行い、救済の道を開いた。先月24日には、同マンションを含め二つのマンションに対して「全破」判定が下った。
18日、被災者らは避難所で最後の夜を過ごした。寂しさを紛らわせるため絵をたしなんでいるキムさん(53)はこの日、結実と和合、帰還をテーマに3枚の水墨画を描いた。チョン・ウンヨンさん(45)は、気を紛らわせて勉強するため持っていたおよそ30冊の本を整理した。チョンさんは「本当につらかったけど、家族や親類よりも大切な隣人と会い、耐えることができた」と語った。同マンションのチェ・ギョンヒ非常対策委員長(49)は「マンション再建まで住民らが滞在できる空間への浦項市の支援が切に必要」と語った。浦項市の関係者は「住民のための行政手続きを積極的に支援していく」としつつ「興海室内体育館も間もなく市民の元へと返す」と語った。
イ・スンギュ記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2021/10/20 15:34
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