文春オンライン 11.11
https://bunshun.jp/articles/-/49896
「今は犬1頭と猫1匹だけ…」借金3億を背負って「動物王国」を閉園したムツゴロウさん(86)が辿り着いた“北海道のログハウス生活”「今は自分が生きていくだけでやっとです」
動物が登場する番組はテレビでもYouTubeでも鉄板の一大ジャンルだが、その元祖と言えば“ムツゴロウ”こと畑正憲さん(86)だろう。
ライオンの頭を無防備になで、ワニの口に笑顔で頭を入れる。ライオンに右手の中指を食べられてもまったく懲りる気配すらない。“動物愛”という枠を大きくはみ出した畑さんの生き方は日本中を魅了した。1980年に始まった「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」はあっという間に人気番組になり、平均視聴率は20%に迫った。
しかしTVシリーズは2001年に終了し、2000年代後半には北海道の中標津から東京のあきる野市に移転した「ムツゴロウ動物王国」も閉園。3億円とも言われる巨大な借金を抱えたが、それもあふれるバイタリティで完済し、現在は40年前に移り住んだ北海道の中標津にある大自然に囲まれたログハウスで生活している。
トレードマークの黒ブチ眼鏡にやさしい声の“ムツゴロウ”さんは、ゆっくり椅子に腰掛けると、煙草を一服しながら破天荒な人生について語り始めた。(全3回の1回目/ #2 、 #3 を読む)
現在は大型犬1頭と猫1匹と一緒に生活
ムツゴロウ よくこんなところまで来てくれましたね。東京からですか? 家族以外の方と話すのも久しぶりですよ。もう隠し事もありませんから、何でも聞いてください。年のせいか、すぐに忘れちゃうこともありますけどね(笑)。
――今日はお時間いただきありがとうございます。お元気そうで安心しました。
ムツゴロウ あ、僕はタバコをたくさん吸いますのでそれだけは勘弁してくださいね。フィンランドから運んだヨーロッパアカマツでこの家を作るときもね、タバコの煙が抜けるように作ったんですよ。
――素敵なログキャビンハウスですね。そして中標津も初めてきました。
ムツゴロウ もう引っ越してきて40年くらいになりますけど、広くて、川が流れていて、馬が喜んで草を食べるところがいいなと思って選びました。広さはわからんのですけど、100万坪くらいだと思います。それと来る時に、道に梨がいっぱい落ちていたでしょう? 森や川は動物の食べ物を作ってくれるんです。時々、この家にもエゾリスやモモンガが来て窓を叩きますよ。気がついたら食べ物をあげたりして、そんな付き合いをしています。
――今はどんな動物たちと生活しているんですか。
ムツゴロウ 一緒に家で暮らしているのは、大型犬のルナと猫のマヤだけです。今は年を取ってね、自分の手で飼えるだけ。1頭と1匹で精一杯です。あとはすぐ近くの(ムツ)牧場に数頭の馬がいますが、自分が生きていくだけでやっとです。
「僕は男5人兄弟の3番めで、一番上と一番下が戦争で死にました」
――ムツゴロウさんと動物の関係は一番最初はどうやって始まったんでしょう。
ムツゴロウ 僕は1935年に福岡で生まれたんですけど、戦争中に医者だった父に連れられて開拓団として満州に移りましてね、満州で住んでいた家は周りを見渡しても何もないところで、昼間はオオカミの遠吠えが聞こえるし、キジやハトがいくらでも獲れました。ナマズやフナを僕が釣って帰ると、おかずになるからって家族に喜ばれましたね。それが動物との最初の出会いでした。
――戦争の記憶と結びついているのですね。
ムツゴロウ 僕は男5人兄弟の3番めで、一番上と一番下が戦争で死にました。当時は日本の幼年学校に入らないと日本軍の大将になれないので、父親が兄を幼年学校に通わせるために、僕も一緒に小学校2年の終わりくらいに日本に送り返されました。帰ってきてから兄貴は必死で勉強してましたけど僕は野放しで、母の本ばかり読んでいました。バルザックとかプーシキンの小説が好きでしたね。漢字も大体覚えてしまって、新聞を読んでいる祖父に「正憲、これはなんて読むんだ」と呼ばれる役目でした。そうこうしているうちに戦争は終わっていましたね。
――野放しとは言いますが、大分県立日田高校から東京大学の理学部へ入られています。
ムツゴロウ 親は医者になれとうるさかったんだけど、僕は医者になる気はまったくなかったんですよ(笑)。当時は東大の理科2類から医学部に行くこともできたので、それで親を説得しました。でも大学では医者になる勉強はせず、アメーバの研究に没頭してました。自分の血を抜いて白血球を取り出してね。アメーバってあらゆる動物の命のもとなんですよ。
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