サザエさんで夕食がイモの天ぷらと聞いて、波平とマスオがブチ切れる四コマがあるのだが、これも戦争経験を踏まえたもので、今の読者は2人がなんでキレてるのか分からんだろうと思う。つまり、南方に従軍していた波平は当然として、マスオさんも戦時中の食生活の記憶があるんだよな。 https://t.co/G4FJgQCGFm pic.twitter.com/Dk1TGvcZIQ
— 勿忘草 (@H_forgetme_not) October 3, 2024
戦時中の芋は大きさ最優先で味は二の次だったので、品種改良された今の芋のように美味しくなかったらしいですね。
— Hopper Auk (@HopperAuk) October 3, 2024
サツマイモ、トウモロコシ、カボチャは一生分喰ったから絶対嫌だ。みるだけで惨めな気持ちになる。というのは戦中戦後の窮乏期を経験した世代共通。変わった所で私の老母はマツタケが大嫌いで、昭和20年21年辺りにマツタケが大豊作で秋は朝昼晩おやつがマツタケで非常に嫌だった見るのも嫌と言ってます
— 八月 (@9awe5) October 3, 2024
亡き祖父は麦飯(混ぜ飯)が嫌だったらしい。と伯母から聞いた事がある。炊き込みご飯もあまり好きではなかったらしい。白米食えるのに何でかさ増ししたものを…と言う気持ちになったらしい
— Hiroaking@キョートとセキバハラの間 (@Hiroaking_PPCG4) October 3, 2024
さつまいもも今のほど美味しくなく、毎日となるとやっぱり辛かったそうです。その子ども(団塊)は鶏肉が苦手な人が多いですね…。自宅でしめるのを経験してるから。私はその様子を聞いていて知っていますが、もう聞きたくないですね😥
— ☁️🌜️空🌞 (@pBO77RSRiXhq7R2) October 3, 2024
はじめまして。
— koto(TRPGその他) (@lb_auratum) October 3, 2024
カボチャやサツマイモは嫌い、雑穀ご飯は食べたくない、すいとんなんて嫌……祖父母や仕事でかかわったお年寄りたちから何度も聞きました。当時はホクホクの栗カボチャではなく、日本カボチャが主流だったから余計にそうだったのでしょうね。
小学生時代が戦時中だった父は芋が嫌いですが、父の母、私から見て祖母はよく自慢話をしていて、
— 晴雨堂ミカエル 拙著「大日本エゾシマ大公国シリーズ」土方歳三が陸軍司令官として活躍します。 (@seiudomichael) October 3, 2024
「私は工夫して料理していたから、他所とは違う芋料理を食べさせた。他所みたいに芋嫌いにはならなかった」と言います。
父の事ですから、我慢して気を遣って食べていたのでしょう。
マスオさんのこのムッとした表情、今のアニメのサザエさんでは、見れないですよね。
— 花ちゃんとチーズケーキ。 (@ohananoosiro) October 4, 2024
うちの父方がお百姓だったこともあってか、ニューブリテン島から復員した祖父は、別に何も好き嫌いせず、晩年までカボチャもサツマイモもむしろ好んで食べていたなぁ
— 六線沢(非営利) (@Exodus_Solidus) October 4, 2024
母方の祖父は近衛連隊から神戸で憲兵をしていたが、鶏肉と鮭は絶対に食べなかった
嫌な思い出でもあったのかなぁ
漫画を先に読んで、なぜキレるのか…と思ったんだけど、説明ポスト読んでなるほど…となった。
— 安曇のなか@長野作家 (@IUth5i) October 5, 2024
私はうどんが好きでなかったのですが、その理由は戦後も続いた配給制度で乾麺うどんがかなりの頻度で割り当てられ、夕食にそのうどんが頻繁に出されたからなのです。今のうどんはおいしいと思います。
— 葉風そよこ (@ezoengo) October 3, 2024
日本で焼きギョーザが売れて、水ギョーザが売れなかった原因の一つに、水ギョーザの見た目がすいとんを連想させるものがあったからともいわれている。
— ゆーすとあ (@EKUE0Lwx1rzcgEt) October 4, 2024
戦時戦後の食糧難をこれで乗り切った人にとっては思い出したくない物を思い出させるからなんだろうな…
なんでも食べた亡父(昭和2年生まれ)も「サツマイモのツルまで食った」と言って敬遠してた
— yanpii (@yanpii11) October 3, 2024
戦中派の父方の伯母も未だにサツマイモを食べない
— 373takasi (@373takasi) October 4, 2024
恐らく代用燃料のアルコール取るため収穫量は多いけど煮ても焼いても不味いという茨城一号の所為ではあろうが
ここまで芋を嫌うとなるとどんだけ不味かったんだろうな…
戦時中生まれのうちの父もサツマイモもカボチャは嫌いだったな…。
— 猫顔娘々(ねこがお・にゃんにゃん) (@K7EUxrxqDOANeir) October 4, 2024
満州に行っていた元軍人の祖父は、夏ミカンに塩をかけて食べていました。子供の頃はなぜ砂糖じゃないのか不思議だったけど、手間がかかって貴重な梅干しに代わって柑橘系に塩で手軽に塩分補給だった時の名残りだったらしい。
戦時下当時の芋は品種改良される前どころか食用イモですらなく、茨城1号や沖縄100号といった工業用サツマイモ(食味を無視してでも生産性を優先した)なわけだし、波平さんに至っては道草同然のキャッサバで命を繋いだ可能性もあるので、もはや現代に想起する「芋」の味とイメージとは別物なんよね。 https://t.co/ww8ljHcKot
— 何でもええねん私財法 (@NIKAIDO_KIJI) October 3, 2024
戦時下を「地元民として農村で過ごしたか」「疎開して農村で過ごしたか」「一般市民として都市で過ごしたか」「特別な仕事に就いて都市で過ごしたか」「戦地で過ごしたか」で、まあまあ食生活は変わる。
— 何でもええねん私財法 (@NIKAIDO_KIJI) October 3, 2024
だいたい戦時中でイメージされる節米料理を食べていたのは、一般市民として都市で過ごした層
誤解される方も居たので注釈。
— 何でもええねん私財法 (@NIKAIDO_KIJI) October 4, 2024
まず戦前(明治維新~日中戦争前期)と戦中(WW2後末期)は違います。
同じくサツマイモに関しても、戦前の人々が食べた大半のサツマイモは、食味を考えてある食用イモで、あくまでも戦中のイモは生産性(作りやすくて大きい)を優先した工業用イモを食用に転用したものです。
現在もバイオエタノール燃料用の工業用サツマイモがあるので、飽食に慣れた現代人ならば普通に苦しいと思う。
— 何でもええねん私財法 (@NIKAIDO_KIJI) October 4, 2024
同じ工業用サツマイモでも、焼酎用サツマイモは風味に影響することを一応は考えてあるのに対して、燃料用は「デカイ」「中身がある」「いっぱい取れる」「作りやすい」が重要なので…
以前見た本では、それまで栽培されていた食用のサツマイモが工業用のサツマイモに転換されていったのは昭和19年ごろだったと書いてありました
— ゴーダII (@A_S_Yak) October 4, 2024
末期戦なると食の質も低下するんですねえ…
その通りです。
— 何でもええねん私財法 (@NIKAIDO_KIJI) October 4, 2024
こちらでも書いておりますが、末期はより生産性を優先して、食用サツマイモから燃料用などの工業用サツマイモに転換されました。
戦中も末期戦の食糧事情の悪化はひどく、節米料理として有名な「すいとん」も、本来的なすいとんとは別物ですからね…https://t.co/VL0H0rZmtd
激しく同意します
— ばばばんばん (@bababa01234567) October 4, 2024
関東地方で工業用に早堀栽培された茨城1号や沖縄100号は甘くなく水っぽく不味かったそうです
ただ沖縄で主食用に長期栽培長期熟成した沖縄100号は甘く美味しかったそうです
沖縄では戦後もヒャクゴーは旨かったと言われていました
沖縄100号の味https://t.co/7oc1GiNljm
アルコール燃料用の工業用サツマイモは、甘味や旨味がなくて水気の多い所謂「水芋」なので、早く大量に実って可食部も大きいけど、常食は厳しい味ですね。
— 何でもええねん私財法 (@NIKAIDO_KIJI) October 4, 2024
沖縄100号については、こちらでも説明していますが、元々は食用ですが関東では食用には向かなかった悲哀のイモです。https://t.co/0XiUG79ZAr
コガネセンガンとか工業用や焼酎用の芋は実は美味しいんですよ(見た目で敬遠されるけど)
— ぴんくべりーX (@pinkberryoskoho) October 4, 2024
味はさっぱりしていて蜜芋とかよりも常食しやすい pic.twitter.com/3c3oGSa7c8
コガネセンガン、確かに工業用(澱粉採取用)として生まれて焼酎用として有名になった品種で、そして工業用としては特筆されるほどに味も美味しいんですけど、コガネセンガンは1966年生まれで戦時下には存在しませんし、
— 何でもええねん私財法 (@NIKAIDO_KIJI) October 5, 2024
何よりもコイツみたいに美味い燃料用サツマイモって少数派なんですよ…