岡本太郎が民衆芸術だと大絶賛していた万治の石仏について五来重が「この石仏を作った貧しい農民もお金があれば自分たちで見様見真似に彫ったりなどせず正式な仏師に頼みたかった筈で、それを田舎の奇抜なセンスなどと言って珍重するのは都会的で傲慢な考え方だ」みたいな批判を加えてたなあ。 pic.twitter.com/Xi44OwdL73
— ノザキハコネ (@hakoiribox) August 14, 2025
この石仏が全国的に知られるようになったきっかけは、1974年(昭和49年)に中村龍雄、地域紙「湖国新聞」編集長・市川一雄らが、諏訪大社の視察に訪れた岡本太郎を現地に案内したことにある。そこで同石仏を鑑賞した岡本が絶賛し、全国紙のコラムなどに掲載した。さらに、上諏訪町(現・諏訪市)出身の小説家・新田次郎もこれに着目し、同石仏はイースター島の石人の頭部が日本へもたらされたものとする大胆な想定を基にして小説『万治の石仏』を著している。これらにより、「万治の石仏」の名称が定着し、知名度も上昇して全国的な観光名所となっていく。
これ以降、「万治の石仏」の名称を産業財産権として利用する動きも活性化する。市川一雄と交友関係にあり、下諏訪町で製菓業と学習塾を営む傍ら、当時湖国新聞でコラムを連載していた矢ヶ崎孫次によって、「万治の石仏」を菓子類の商品名として使用するための商標登録出願(1975年9月6日、区分:菓子、パン)がなされている。続いて、別の出願人から他区分(調味料、穀物の加工品、べんとう)での出願も行われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%B2%BB%E3%81%AE%E7%9F%B3%E4%BB%8F
美術なんて作者がそこで完成としたらそれが作者にとっての最良で、褒めこそすれ正式な仏師うんぬんは余計なお世話ですな
— 勇者おいまて🇺🇸🇮🇱🇯🇵🇺🇦🇹🇼 (@N8xe0uQYGlBFmeV) August 15, 2025
違うと思います
— Satotarou (@Satotarou1) August 15, 2025
万治の石仏の作者を揶揄したものではなく、ピカソの絵みたく即興で作ったかもしれないものまで珍重してありがたがる現代の風潮を揶揄しただけと思います
岡本さんは芸術の観点から、対して五来さんは信仰の観点から論じてると思う。なのでこれだけだと側から見てる人の意見もすれ違いになってしまいそう
— genY (@genY1981) August 15, 2025
言いたい事は分かるが、仏像は「自ら仏像を刻むこと自体が修行であり功徳」という考えも割とあり、必ずしも「仏師に頼みたい」とは限らない場合が割とある。「万治の石仏」は石工が夢で「この石に仏に刻め」とお告げを受け、地元民が労力を出し合って完成させたと言われてたりするので、実際は不明。
— 舘 世岱 (@tachi_yodaka) August 15, 2025
むしろ制約が新しい美術の発展を促す良い例です
— きんだいち (@kanedaichi6) August 15, 2025
彫った人はただ信仰のためだったのだろうが、後世でしたり顔した者たちに品評されているなど思いも寄るまいて
— 4TE (@misato_rassei) August 15, 2025
岡本太郎的な評価をする現代美術やヘタウマに通底する感性の芸術家は近代以前の中世〜近世からも居たようで
— 池辺 研(池辺 琉右衛門) (@KenIkebe18217) August 15, 2025
破調の美や無作為など言語化、分析も
工芸では歪み茶碗を評価した
古田織部や千利休
仏像では円空仏
絵画では仙厓などの登場につながっていくと思います。
話はズレるかもしれませんが、アフリカの廃タイヤヤードでゴムサンダルを作っている人が、テレビのインタビュワーに「これがここの文化だと思われたくない。お金がないからこうやってサンダルを作っているんだ」と力説していたのに似た話だなあ、と思いました。
— ウォンバット(旧大阪ペンギン) (@Osaka_wombat) August 15, 2025
それはもろ的外れだよな
— 健無 (@ktr_halogen) August 15, 2025
「自分たちで見様見真似に彫った」結果が称賛に値するものという話なのに、貧しい農民が本当はどうこうしたかったみたいなこと言われてもって感じじゃないか?
作品の(岡本が褒めた)価値に作者の内心は関係ないと思う
奇抜なセンスじゃなくて金がなくても石仏を願う信仰を表す作品として大いに民衆芸術だと思います
— 溝 (@dobugawa_zargan) August 15, 2025
両立するんですけどね。
— コダックさるすた〜名競応援な中二病のフレンズ (@sal_friend) August 15, 2025
「お金があればプロに頼んで立派な作品を作って見てみたい」
「仏様が好き!だから自分の仏様が掘りたい!自分の作品が創作(つくり)たい」
今やっている同人即売会みたい感じで書いてみました。
確かに。
— ももぞう (@nobu3O3lovebeer) August 15, 2025
ただ、そういったないから自分で作ってみたところから、素晴らしい作品として評価されるのもあって。
面白いなと思ってしまう。🤔
これ、諏訪大社の隣にあるわけで、貧しくてこうなったとは思えないんだけどな。
— 友引 甲甲甲甲乙乙 (@tomobiki10) August 15, 2025
うーむ、そうするとアートや文化は金銭的に恵まれた層だけしか許されないという話になってしまいますね。
— Japanese commoners(日本の平民) (@Nihon_Heimin) August 15, 2025
五来重氏ってその「貧しい農民の為にたちよった集落で仏像を彫って自分で法要した」と言う円空の本出してましたよね
— 筑山山造@yamazou (@yamazou15) August 15, 2025
・・・
アーティストなんて傲慢なもんだと思うけど。ていうか「お金があれば正式な仏師に頼みたかったはず」ってのは、現代における田舎はあったかい、人情がある、みたいな勘違いと同じじゃないの。
— syutendouji (@syutendouji4) August 15, 2025
なんでもいいけどこの石像には面白みがあるからそれでいいのだ。
— 涙ノ魔王獣マガコバやsh(VRC:アブラカタブラ) (@kobayashi_1999) August 15, 2025
製作者がそこまで考えて作ったものでないものを後世の人がやたらありがたがって貴重品として珍重するのはあちこちにありますよね
— Satotarou (@Satotarou1) August 15, 2025
私はピカソの作品の半分以上はそうでないかと思っています
嫌々作ってるうちにみんなちょっと楽しくなってきて胸の辺り、なんか模様入れてみたらどうよってなってこの形
— ときわズ (@ahoujicya) August 15, 2025