大阪・JR茨木駅から車で進むこと40分。看板が立ててあり、その先に行こうと思ったら道路幅が狭く、車が通れるかどうか不安になりました。
「結構細いですね…溝に落ちないか心配なんですけど、なんとかいけました。ちょっとこれ…」
報道ランナー
車が行く手を阻むようなところを越えて、山道をさらに進むと見えてきたのが…その名も「茨木台(いばらぎだい)ニュータウン」。
1980年代、バブル時代に開発され、多くの人が夢のマイホームを手にしました。しかし、今…
【35年前に土地を購入した男性住民(85)】
「阪急バスが(最寄りの)銭原まで来るのが、1時間に1本あったけど、いまは(1日)3本しかない。減ってきてる。乗る人おらんもん。車なかったら生活できない」
最盛期の1995年にはおよそ700人いた住民も、いまは300人ほどしか住んでおらず、住民の平均年齢は70歳と高齢化が進んでいます。
街には、壁に大きく穴が空いた家も、放置されてから何年経ったのでしょうか…中には建物が見えないほど木が生い茂った区画も。
昔からあった商店もつぶれ、病院も学校もありません。この状況から、限界集落ならぬ「限界ニュータウン」と言われることも…
なぜ都市部からここまで離れた場所にニュータウンが存在しているのでしょうか?
■なぜ都市部から離れたところにニュータウン? そもそも「茨木台」なのに住所は京都・亀岡市
入手したのは開発された当時のパンフレット。「茨木台ニュータウン」の大きな文字があります。そして、夢のあるうたい文句も…。しかし、よく見ると、所在地は小さい文字で“京都府亀岡市”と書かれています。
【茨木台ニュータウン 見立南区 堀内政八郎区長(70)】
「後で『あれ、ちょっと違うな』と。実際に住民票とかね、戸籍なんかすると亀岡市になってたんで。その辺のところは、最初はその“茨木台”っていう言葉に…だまされたとは思いませんけど」
一見「大阪府・茨木市」にあるかのようにうたわれた場所。売り出されたのは600区画にのぼりました。値段は土地だけで1000万円以上しましたが…ほぼ完売したそうです。
市街地からは離れていましたが、当時はモノレールがここまで延伸するという話もあり、人気があったということです。
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