抹茶ケーキに抹茶ラテ、抹茶成分入りの美容石けんや化粧水など、中国では日本発の抹茶ブームが数年前から続いている。茶葉を粉末にして飲む抹茶法は12世紀ごろに中国から日本に伝えられたが、発祥の地、中国では長く忘れられてきた。近年、日本から中国に逆輸入された形である。
中国で抹茶の飲み方を書物としてまとめたのは北宋の第8代皇帝の徽宗(きそう)だといわれている。徽宗は皇帝の公務には関心を示さなかったが、書道や絵画、骨董(こっとう)に詳しく、茶の湯をたしなむ文化人だったといわれる。その著書「大観茶論(たいかんちゃろん)」には、抹茶のおいしい飲み方として「溶いて軟こう状にした抹茶に7回に分けて湯を注ぎ、茶せんを振って雲や霧のような細かな泡をたてる」などと具体的に書かれている。<中略>
中国で抹茶法による茶の湯が廃れた理由には諸説あるが、戦乱が続き、抹茶の複雑な製法が時代にそぐわなくなったことも要因の一つとされる。茶の湯を楽しんだ北宋の皇帝、徽宗の治世、中国では『水滸伝』のモデルとなった宋江の乱など悪政に苦しむ農民たちの地方反乱が続いた。徽宗は「茶の湯の気高く静かな風流は、騒乱の時世に尊ばれることはないだろう」と嘆いたといわれる。
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