狭山茶をめぐり、地元の入間、狭山両市がつばぜり合いを演じている。生産量で圧倒しているのは入間市だが、狭山市が主産地と思っている人は少なくない。「本場」を自負する入間市が勝負に出た。
入間市の杉島理一郎市長が「おいしい狭山茶大好き条例」(仮称)を制定すると明らかにしたのは、5月27日の記者会見だった。「入間市は、狭山茶の『誕生の地』であり、最大の『主産地』です」。条例案は、こんな一文で始まる。
市内にある茶農家は100軒を超す。国の調査によると、2020年時点で493ヘクタールあった県内の茶の栽培面積のうち、半分を入間市が占める。2位は所沢市で、3位の狭山市は入間市の4分の1にも届かない。県の茶業研究所も茶業協会も入間市にある。
両市の間に不穏な空気が流れたのは今年4月。初摘みの際の出来事がきっかけだ。入間市で最も早い摘み取りには例年、市長が出向き、風物詩のニュースとして取り上げられてきた。同じ日に今年は狭山市が初摘みをし、各メディアに案内を出したのだ。そのことを現地で知った杉島氏は「なんで」と顔をしかめた。
全文はこちら
https://www.asahi.com/articles/ASQ6S6S3PQ6RUTNB00D.html
お茶は宇治、八女、宮崎でしょう。
静岡、狭山なんてマイナーだわ。あまり美味しいと思ったことないし。
なんか地味なところで張り合っているイメージ。
>>3
鹿児島と静岡が生産量多いんじゃなかったっけ
>>3
宇治茶も生産量は和束町の方が遥かに多く
宇治茶と呼ばれるのも癪だからと和束茶というブランドを立ち上げて一部は和束茶として販売しているな
>>3
めっちゃ生産量少ないところを出してきたねw
>>3
茶々入れんなよ
入間県を復活させて入間茶で販売
浦和と大宮みたいにいっしょの市になればいい
さいたま市になって、故浦和市民も故大宮市民もみんな仲良くなれた
>>7
15年前に両市民投票で却下された
>>7
なってねーよ
富士見市とふじみ野市の仲の悪さにくらべたら
たいしたことない
やっぱりw狭山市民だけど、別に茶畑そんなに無いし、名産品狭山茶と言われても、はあ?って感じだったし
狭山茶は産業構造の変化でもともと桑畑だったところで栽培してる
しかも内陸で寒冷差がはげしくいいお茶がとれなくて静岡等の西ではなく東北方面に販売してた
所沢にも狭山茶あるよ
地名は関係ないって
元々入間郡だから入間が歴史的な地名なんだけど
響きがいまいちパッとしない
かつて入間茶で売ったら
人間茶と間違える人が続出したなんて話も
元入間市民だし時々入間市民に戻る自分は、九州に転勤になるまで、色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさすと言う言葉を信じて、狭山茶は日本三大茶だと思っていた
……が、翔んで埼玉でも狭山茶なんてワンカットの旗でしか出てこない
しかも、お菓子やパフェに使われてる3番目のお茶は世間は八女茶ときた。天下のスタバやアイスまんじゅうですら八女茶使用!とか書いてある始末だ
狭山茶使用!なんて見たことない
小学生の頃から入間市民は狭山茶に対する英才教育を受ける
茶摘みをして自分で茶を作る授業がある
狭山茶は入間で殆ど生産されている事も知っている
本来は入間市が狭山市と名乗るべきだったが、狭山市が先に狭山市と名乗ったせいで、入間市となった経緯も知ってる
かなり昔に合併するかどうかの投票があったけど、合併に至らなかった
合併の市の候補名は狭山市が多数、財政の面でも当時市民からも猛反対だったね
>>35
あまおうや八女茶のブランディングが上手いんだろうな
>>41
巨大消費地の首都圏から遠いところは必死さが違うよ
狭山市と入間市…。この二つの星系は、狭山茶の本場をめぐる戦いを百年も続けていた。はじめは局地戦が続いていたが、おれが志願するころには戦線が拡大し、二つの星系に属する200余りの惑星が戦火に巻き込まれていった。おれは戦った。はじめは生まれ故郷の狭山のためと信じて戦った。だが、戦いは長引くばかりで終わりがなかった。おれは疲れた。誰もかれもが疲れていた……
狭山市生まれだけど狭山茶の産地は入間市だと思ってた。
狭山市駅の前の名前は入間川駅。
狭山と無関係な狭山市が【狭山】を名乗ってる事に昔から違和感あったんだよなー
現入間市域を支配的に取り込んだ大狭山市構想のために狭山名乗ったって結構最近知ったわ
Wikipediaから抜粋
江戸時代には、入間市から所沢市にかけて横たわる狭山丘陵一帯の村々が川越藩領であったことから、「河越茶」と呼ばれていた。
早稲田の所沢キャンパスあたりも狭山茶畑が広がるし、どっちかというと所沢というより狭山
平和っちゃ平和ね