1:名無しさん


伝統茶、立夏前後摘んだ葉で加工したものが良い
キム・ヨンジョ青い松民俗文化研究所長

[私たちの文化新聞=キム・ヨンジョ青い松民族文化研究所長]
3日後(5月5日)には、24節気のうち7番目の立夏で、今は茶葉を摘むまっさかりの時期です。日本で発達した緑茶はコクウ(穀雨、4月20日)前に採ったウジョンチャ(雨前茶)が最高と言いますが、朝鮮時代の茶の聖人と呼ばれたチョイソンサ(草衣禅師)は「私たちの茶は立夏前後が最も良い」と言いました。元来、蒸して加工する雨前茶は新鮮で香りが澄んでいますが、私たちの伝統炒り茶は立夏の時に摘んだ葉で炒ると、深くて香ばしい淡泊な味を出す茶です。こんなに違うのは、二つの茶がいとこ同士ではあるが、明らかに品種が違うためです。三国時代に私たちの国に入って以来、野生で脈が続いてきた伝統茶の加工方法は、釜に熱を加えながら揉むようにやる炒り方法で、そうして作った茶を煎じると、色は茶褐色を帯びます。

一方、日本緑茶は、私たちの茶の木が日本に渡って、長い間そこの土着化過程を経て緑茶(ヤブキタ種)になったが、蒸して作る蒸し製茶で茶をいれたら、渋い黄緑色を帯びることからノクチャ(緑茶)と呼ぶのです。特に日帝強占期、私たちの国に逆に入ってきた緑茶は、主に全羅南道(チョルラナムド)宝城(ポソン)地方に植えながら、大量生産体制で栽培し始めました。栽培ではなく野生の茶葉を加工して作る伝統茶が、まず量が少ないために値段が少し高いのを欠点と言うなら、緑茶は大量生産が可能で比較的安価で楽しめるのが長所です。

全文はこちら
https://www.koya-culture.com/news/article.html?no=135136

 

2:名無しさん


という夢を見たニダ

 

4:名無しさん


日本で茶の栽培が始まったのは平安朝初期で、最澄ら遣唐使が持ち帰ったものだから。

 

10:名無しさん


起源を主張したところで、韓国のものにはならないのにな。

 

35:名無しさん


「ウリの茶の名前は『伝統茶』だから起源国ニダ」
とか言い出しているのか・・・

 

41:名無しさん


ヤブキタは、明治になってからの新品種なのに…

 

61:名無しさん


茶道具すら無いのになw

 

130:名無しさん

>>61
ビニールシート、トイレットペーパー、ポットが三種の神器ニダ

78:名無しさん

>>61
理解してないから煎茶をデカい茶筅で混ぜるしな。

71:名無しさん


朝鮮が温暖とか言い出すファンタジー

>お茶の栽培適地(さいばいてきち)は、年間平均気温(ねんかんへいきんきおん)が14~16℃以上(いじょう)で、冬季(とうき)の最低(さいてい)気温がマイナス5~6℃におさまること、夏季の最高(さいこう)気温が40℃を超えないこと。

 

90:名無しさん


皆さん、知っていましたか?
茶樹は温暖なところでなければ栽培できません
そうです、猿の分布域と同じです
朝鮮半島には猿は生息していません
生息できない環境なのです
茶樹も同じです
これが答えです

 

141:名無しさん


茶は種だと交雑が激しいので安定しない。
ヤブキタは静岡で人為的に交配されというか実際には当時はコントロールできなかったのでたまたま「その辺りの株」が美味しかったので名付けられた。
ヤブキタと同じ「株」が国外にあるのはつまり密輸起源

 

149:名無しさん


茶文化を広めることに寄与した禅寺を弾圧しといて日本に奪われたもクソもねえと指摘しても無駄なのだよ
禅寺は突き詰めて考えることを是としているから、李氏朝鮮の朱子学者にとって都合悪かったのだろうけどな
こんなで誹謗中傷される日本人からすると本当にアホくさすぎだろう

 

205:名無しさん


マホービンでお湯入れるウリナラの茶道が日本に渡ってイルボン流になったニダ

 

229:名無しさん

>>205
(=゚ω゚)ノ 茶釜はコンセントから電源を取る電気式です!
大規模な野点ではティーサーバーが設置されます!
ウリナラ伝統の変な茶菓子も用意されます!

304:名無しさん


緑茶畑だって併合時代に、日本が植えて教えたんでしょ。
それまで清の属国で、何にもなかったんだからさ。

 

395:名無しさん


ただし、済州島には角砂糖の固有種が自生してます。砂糖の起源です。