自力救済を極めた中世史を勉強してるとその帰結として江戸の長期安定社会が誕生するの奇跡だわと思ってしまいますが、実際に近世初期(大阪の陣前)に来日した外国人によると、当時の日本人も関ヶ原以降ほぼ国内の合戦が「停止」したことに、信じられないという感覚だったそうで
— まとめ管理人 (@1059kanri) August 23, 2025
武断政治時代も大規模な戦はほぼないですし(島原の乱くらい)
— 髙木・美濃守・ニトロプラス・エドガー4️⃣7️⃣ (@10meiwomatsu) August 23, 2025
というか元和偃武以来幕末まで、合戦規模の戦いが行われたのは島原の乱だけですね
— まとめ管理人 (@1059kanri) August 23, 2025
改易取潰しに遭った大名は数しれずだけれど、誰一人篭城という選択肢を選ばなかった…ってのは凄いよなぁ……なんでだ?
— 田丸商品店🇯🇵🇺🇦 (@rU9n0FBs1FTivrL) August 24, 2025
難攻不落の大坂でさえ、あの有り様だったから?
江戸幕府による「改易」は必ずしも一方的なものではなく、先ず理由の開示があり当事者からの意見徴収もあり、諸大名への経緯や結論への説明もあり、さらに改易を受けても旗本への取り立てや場合によっては後に大名への復帰も有り得まして、「公儀」として非常に丁寧な処置を志向していた面が大きいかと
— まとめ管理人 (@1059kanri) August 24, 2025
江戸以前を知れば知るほど、江戸幕府って為政者としてかなり頑張っていたんだなという感想が。
— vfkisl (@vfkisl) August 23, 2025
関ヶ原以降、代官や名主などの農村の戦闘員階層が「昔からの百姓でござい」という姿に変わっていくのが驚きなんですよね
— 積読、余談、エンジニア (@sh1n_sem1ya) August 24, 2025
神様が内戦に飽きたんじゃないかな・・・と
— TOMIO (@TOMIO39140985) August 23, 2025
それによって武士が稼ぎ扶持を失ったからこそ
— はるかんとり (@Haruka2007Toshi) August 23, 2025
大坂の陣にはたくさん集ったという面はやはりありますかねえ
「これで終わるわけがあるまい」って、全員が思っていた。
— ソエム (@YoshidaSoem) August 23, 2025
それを、戦を起こさない方向に治めてしまったのは、やはり家康の手柄なのだろう、と
ウィリアム٠アダムズが夏の陣の後は「世界がすっかり変わってしまった」と言っていたそうです。
— IF1986キボンヌするへたれリアリスト (@niichankokekko) August 23, 2025
赤穂浪士の討ち入りが最後ですかね
— JMK (@jmkcosp) August 24, 2025
組織的かつ大規模な自力救済の論理のは
特に何か元となる資料があるわけでもないですけど、みんな「自力救済」がとことんイヤだったと思っています。明治自体の廃藩置県もそう。藩主をやるのがとことんいやだったのだと思っています。
— Dai(マイスター上級目指す) (@daidaisukee) August 23, 2025
意識改革の仕上げが生類憐みの令。
— 緒方敬 (@ogatakei1192) August 24, 2025
合戦はなくなったけど仇討ち以外の自力救済は完全に根絶できなかったような
— デスオ (@desuo785620) August 24, 2025
秀吉の1585年の惣無事令から
— シン野中 (@SinNONAKA) August 24, 2025
8年後に1592年の朝鮮の役から
8年後に1600年の関ヶ原の戦いから
15年後に1615年の大坂の陣から
22年後に1637年の島原の乱と
群発地震が
次第に間隔が長くなり局地的になり
収まっていくような感じhttps://t.co/iyTrvtT4mV
個人的には、行き過ぎた自力救済にウンザリしていた人達が多かった感じがしますね。
— ヤン・ヒューリック (@1xuVLqH3kQ) August 23, 2025
乱世だから自力救済社会だったのか、自力救済社会だから乱世だったのか、卵と鶏の関係みたいですが、どちらかが終わると、相方も終わるという関係だったのでしょうか。
— 普通の歴史好き (@Xc0Kie7DJP35018) August 23, 2025
各地の戦国大名の領内統治政策の積み重ねと延長線上に天下統一政権による全国的な合戦「停止」政策になったのかな。あと天下統一直後の外征も間接的に影響があるのかも。国内の合戦欲求を外に放出する結果にもなった。
— 風の前の塵 (@JQP1PXXHKyPpfp7) August 23, 2025