1:名無しさん




歩道橋の歴史

日本では昭和30年代の高度経済成長期においてモータリゼーションが進展し、自動車の保有台数が急増した。これに伴い交通事故による死者数が1万人を超え、「交通戦争」と呼ばれる状況に陥り、なおも死者数は増加する傾向にあった。交通弱者である歩行者を事故から守るために、歩行者と自動車の各々の交通を分離(歩車分離)出来る歩道橋が設置されるようになった。

1959年(昭和34年)6月27日、愛知県西春日井郡西枇杷島町(現:清須市)に日本で初めての歩道橋「学童専用陸橋」(西枇杷島町横断歩道橋)が設置された。名古屋市に隣接する西枇杷島町は、当時全国有数の交通量があった国道22号(現:県道名古屋祖父江線)が町の中心を貫いており、交通事故が毎日のように発生し、近隣の小学校と中学校への通学児童・生徒も自動車にはねられる事故に遭うことが少なくなかった。その対策として考案された、全国初の横断歩道橋が総工費320万円をかけて建設される運びとなった。当時は歩道橋という用語はなく「学童専用陸橋」と名付けられ、鉄筋コンクリート製の横断歩道橋が完成した時には町長をはじめ、全町民をあげて渡り初め式(学童専用陸橋竣功式)も執り行われた。

欧米の歩道橋

歴史的な歩行者専用の人道橋としてはパリのセーヌ川に架けられた芸術橋(ポンデザール、Pont des Arts)などがある。

イギリスでは1850年にロンドンに歩道橋が完成した。

しかし、横断歩道橋はヨーロッパでは市街地の街並みに調和しないものと考えられており設置例は多くはない。日本が交通渋滞緩和のために参考にしたとされる1960年ローマオリンピックの横断歩道橋もあくまでも五輪期間中の仮設構造物であった。

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