長野県安曇野市穂高有明の特産品「穂高天蚕(てんさん)糸」が窮地に立っている。一般的な蚕(カイコガ)と異なり天蚕(ヤママユガ)はクヌギなどの飼育林で卵から育てるが、天蚕や繭がニホンザルに食べられる被害が続発。飼育者の減少と高齢化も進み、繭の生産量はこの10年ほどで急減している。天蚕糸の生産・普及に取り組む市天蚕振興会は、このままでは地域の文化が消えてしまう―と危機感を募らせ、伝統を次代につなぐ方法を模索している。(難波淳)
■「防護ネットを破かれて…」
「防護ネットを破いて入り込んだサルに天蚕や繭が食べられてしまった」。
1月中旬、同振興会が管理する穂高有明の飼育林を訪れた田口忠志会長(77)は、クヌギの木々を眺めて苦々しげに振り返った。ここでは田口さんら振興会の3人が、毎年5~7月に天蚕の飼育に取り組んでいる。
田口さんによると、サルによる食害は5年ほど前から目立つようになった。振興会は飼育林の木々に防護ネットを張ったり、監視カメラを仕掛けて見回りを強化したりと対策を講じてきたが、十分な効果を得られていない。田口さんの推定では、2024年は約2千匹の天蚕が食べられたという。
年によって変動はあるが、天蚕繭の生産量は右肩下がりの傾向だ。12~14年は3万粒前後で推移していたが、23年は4800粒、24年は8109粒と大幅に減少した=グラフ。ニホンザルによる食害に加え、繭を作る前に病気にかかって死ぬ天蚕が少なからずいるという。
■難しい天蚕の飼育 携わる人の減少に歯止めかからず
そして田口さんが「特に心配している」のが飼育者の減少に歯止めがかからないことだ。振興会には現在、糸の紡ぎ手や織り手など県内外の45人が所属しているが、天蚕を育てる「飼育部員」は田口さんを含めてわずか3人。12年は8人いたが、高齢などを理由に現場を離れ、後任の確保が追い付いていない。24年に振興会が生産した繭のうち、半数以上は田口さんが手がけたという。
元々、天蚕の飼育に携わる人は会社などを退職した高齢者が多い。天蚕の卵を和紙に貼り付けてクヌギなどの枝にとめて回り、頻繁に飼育林に足を運んで幼虫の成育状況や繭の様子を確認するなど手間がかかる。飼育可能な時期も限られ、屋内で多くの蚕を育てられる一般的な養蚕と違って大量飼育が難しい。天蚕糸の価格は1キロ(繭4千~5千粒相当)当たり60万~70万円ほどと絹糸としては高価だが、繭の納品だけで生計を立てるのは困難という。
■「近い将来、天蚕糸という文化が消えてしまうかもしれない」
田口さんは養鶏業者を定年退職後、当時の会員の誘いで12年に振興会に入った。穂高有明出身で、飼育林を遊び場としていたことから天蚕に愛着があった。17年から会長を務める田口さんは、自身が飼育を続けられなくなった後、「近い将来、天蚕糸という文化が消えてしまうかもしれない」と懸念する。
田口さんは、これまでボランティアで飼育に協力してきた有志の3人に働きかけ、25年から本格的に飼育を担ってもらう考えだ。幅広い世代に天蚕文化に関心を持ってほしいと、振興会が管理運営する市天蚕センターでの情報発信にも力を入れる。田口さんは「歴史ある天蚕糸の火を絶やさないように知恵を絞りたい」と話している。
■穂高天蚕糸とは?
【穂高天蚕糸】 安曇野市穂高有明で飼育される野生の蚕・天蚕(ヤママユガ)の繭から取れる絹糸。 エメラルドグリーンで独特の光沢があり、「繊維のダイヤモンド」とも呼ばれる。市天蚕センターによると、江戸時代中期の天明年間(1780年代)に農家が飼育を開始。全盛期の1897(明治30)年ごろには、年間約800万粒の繭が生産された。第2次世界大戦中にいったん途絶えたが、1973(昭和48)年に県の委託で飼育が再開された。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0bc204cdf9f81a51e13a729aee0ead8bdfff2887
一番手っ取り早いのは猿を捕まえて3分の1に減らすことw
犬や猫は都もそうだが熊とか殺すのに反対者や法規制がある理由が分からない。
>>4
猫はともかく野犬とか野生の狼レベルで超危険で熊は言わずものがななのにな
エビに似た風味で美味しいからね
ヤママユガ 幼虫 でグクったらギャーとなった
キロ70万円でも経費と労働コストが合わないんじゃね?
後継に困る産業てだいたいそう
うちの野菜も全部猿と鹿に食われた
電柵飛び越えて入ってんのか
猿こそ賢そうだから狙うときは「何で自分が死んだか分からない」というような方法で処分しないと手口を覚えられてしまう
桑畑も見なくなったな
猿「カイコうめえ!」
絹の代わりに猿の毛皮にすれば
まぁカイコは人が食っても美味いからしゃーない
監視カメラは意味ないだろ笑
猿がそれ見てビビるとでも?
繭の周りに犬を沢山飼うしか