1:名無しさん




内容 やや偏りがちな先生が歴史をジェンダーの点から語る。先生の考えは伝わってくるが、経済はどこへ?
単位 レポートだけで評価が決まる。出席点はないが休みすぎは厳禁。字数は例年4000時強。

日本女性史 鈴木裕子

内容 リベラル(要出典)で男子に厳しい先生が日本近代を批判していく。とにかくとる前にシラバスに目を通せ。
単位 3回ある試験は教科書をうつすだけ。女子なら無条件にもらえるAは男子にはこない。

東京経済大学

東京経済大学(とうきょうけいざいだいがく、英語: Tokyo University of Economics)は、東京都国分寺市南町1丁目7-34に本部を置く日本の私立大学。1900年創立、1949年大学設置。大学の略称は東経大(とうけいだい)。

東京経済大学の前身は、大倉財閥の創始者大倉喜八郎によって1900年に現在の東京都港区虎ノ門に創立された大倉商業学校。大倉は、その設立の趣旨を次のように述べている。

 条約改正が実現し、内地雑居が近く行われる。しかしわが国の商業者の知識は昔と変わらない。このままで進むと対等条約と内地雑居の実施の結果、わが国の商業界は外国人に独占されることになろう。自分が外国に支店を設けて有為の青年を派遣してきたのは外国人に対抗するためである。そこで、自分の還暦と結婚満25年を記念して、商業学校を設けて多数の商業者を育成し、世のために尽くしたい。 創立委員として大倉の友人である石黒忠悳(大倉商業学校と大倉高商で理事・督長を歴任)・渡邊洪基(大倉商業学校の督長を歴任)・渋沢栄一が参画し、1919年には旧制専門学校の大倉高等商業学校(大倉高商)を開校。1946年には大倉経済専門学校(大倉経専)として現在の国分寺キャンパスに移転、その3年後に大学に昇格。

創立時の所在地は、大倉喜八郎の邸宅(現在はホテルオークラ、大倉集古館が建つ)の隣接地であった東京市赤坂区葵町(現・東京都港区虎ノ門)であった。しかし、第二次世界大戦期の太平洋戦争空襲による校舎焼失により、1946年1月20日に現在のキャンパスがある国分寺へ移転する。なおこの国分寺の土地は大倉財閥系列企業であった中央工業(新中央工業の前身)所有の土地であり、赤坂の校地との引き換えによって取得したものである。赤坂葵町の校地には現在、虎ノ門ツインビルディング(旧新日鉱ビル)が建設されており、ビル敷地内の緑地には創学の碑がある。

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