戦国武将・明智光秀が琵琶湖のほとりに築いた「坂本城」のものとみられる堀と石垣が発見されました。地上から城の痕跡が見つかるのは初めてです。
滋賀県大津市にある坂本城は戦国時代、明智光秀が琵琶湖のほとりに築いた城で、城の痕跡が地上にはなく、琵琶湖の中からしか発見されていないことから「幻の城」とも呼ばれています。
今回、住宅の開発のために調査を行ったところ、高さ1メートル、約30メートルに渡る石垣と、幅が約8メートルの堀が見つかりました。坂本城とみられる痕跡が地上から見つかるのは初めてです。
この石垣と堀は坂本城の三の丸のものとみられ、城の一番外側にあたる外郭部分だということです。
大津市文化財保護課の岡田有矢さんは「今回の発見は歴史的にも学術的にも大きな価値があるのではないか」と話しています。
今回見つかった堀と石垣は今月10日と11日に一般公開されます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6ad0634ca1e2465f36132f0e0cafdeb132e7cf0f
発見された堀・石垣
なんで琵琶湖の中に城を造ったの?
>>7
琵琶湖に突き出た大きな砂州があって あれ?ここに城建てれば良くない? ってなったとおもう
>>7
湖城水運ネットワークの一環だろうね
安土城も現在は周辺干拓されてしまったが元々湖上に浮かぶ城だった
「ふふふ…ついに見つけたぞ明智くん」
数年後そこには立派な住宅街が…
水位が下がって新たな発見か
坂本城、佐和山城、長浜城、城多すぎない?
彦根城もあるし
>>19
近江は北陸道中山道東海道が合流する戦略上の超重要拠点だからな
>>19
徳川の時代になる前まではそこいら中城だらけだったな
城というよりちょっとした砦的な山城も多かったようだが
>>19
そこら中にあって当たり前だよ
日本全国城だらけだよ
一国一城令とか徳川政権になってからの概念だし
滋賀は織田家がわちゃわちゃしてたところだからその辺の歴史語るうえで有名になった城多いね
琵琶湖の中からってどういうこと
地殻変動でもあったのか
>>19
浅井の旧領を織田家臣団に分け与えて
それぞれに城を作ったのかな
>>32
Wikipediaを見てきたわ
湖岸に本丸がある水城形式という話で
かつ、秀吉時代に大津城建築のために坂本城の資材が使われたという話
どういう工法か、湖面から土砂と石を落としたかして水中部分を作って、
その部分は再利用できずに残ったのだろう
陸上部分は再利用のために撤去されてしまって遺構が残らず、
明智秀満が自害したときに焼失した部分だけは、埋め立てられて資材が再利用されずに遺構が残ったのだろう
坂本も大津も膳所も波による石垣の浸食が発生し、波乃久里子
基本的に遺跡は埋もれるから琵琶湖も同じように堆積して水位が上がれば湖の中から石垣が出てきても不思議はなくね?
戦国時代にそんな低地に築城するとは戦に弱い訳だわ
利便性の良い低地に多く作るようになったのは安定した江戸期よ
>>51
琵琶湖上の水運をコントロールするための拠点やで
佐和山(彦根)、長浜、今津と坂本の4点セット
>>51
利便性のためだけに湖岸に建てたわけではないよ
すぐ眼の前にある山は延暦寺のある比叡山つまりそういうことだ
本当に坂本城やろか?
あのへん、その辺の民家とか寺でも石垣組んどるやろ
穴太衆の出自の地
琵琶湖には死体から遺跡まである
絶対に水抜くなよ
すごい魔物がいるわ(笑)
琵琶湖の周りは古墳だらけなイメージ
>>75
琵琶湖周りどころか近畿でもない遠く離れたうちの地方でも小高い山は古墳だらけよ
調べてみなよ、驚くぞ
500年ぐらい前なのに地上の物が分からなくなるもんなんだな
普通、坂本と言ったら門前町だと思うけどな。港としての適地だった訳でもない
>>119
坂本城があったとされるのは広義の坂本で、行政上は旧下阪本町。あの辺りには三津浜って言葉もある。
https://japan-geographic.tv/shiga/otsu-mitsuhama-nakayama-201106-0006.jpg
光秀は信長にいいように使われて過労死寸前だったらしい
光秀認知症説ってのがあるにはある
結構しっかり残ってるね。次の休みにフラッと行って見られないかな
でもこんなん出てきてどうすんだろ…
今は普通に坂本の中心と言えば日吉大社のすぐ前あたりで、
湖岸からも城ともそこそこ離れてるね