突然発表された翌年度からの学生募集停止
〈 学校法人上野学園は上野学園大学部門における令和3年度(2021年度)以降の学生募集停止を令和2年7月15日開催の理事会にて決定いたしました。<中略>
上野学園大学は1958年に開学し、約60年にわたり多くの優秀な卒業生を輩出してきました。しかしながら、少子化や社会情勢の大きな変化の中、様々な改善策を試みましたが、大学部門の厳しい状況に変わりなく、募集停止に踏み切らざるを得なくなりました。
現在、大学に在学するすべての学生が必要な単位を履修し、卒業まで安心して学生生活を過ごせるよう、本学園は最大限の対応をして参ります。〉
これは東京都台東区にある上野学園が、大学の学生募集停止を発表した文章だ。理事会での決定から1週間後の2020年7月22日、理事長の石橋香苗氏の名前でホームページに掲載された。
上野学園は1904年に石橋蔵五郎氏が創立した、と学園は主張している。しかし、「上野高等女学校」の創立25周年記念誌によると、創立者は藤堂高亮、小林弘貞、坂上忠之助、花岡和雄の4氏と記されている。蔵五郎氏は、1911年に上野学園に入職し、1925年に校長に就任した人物だ。
上野学園はその後、1949年に日本で初めて高校に音楽科を設置している。1952年に短期大学を開学して音楽科を置くと、1958年に音楽学部を持つ大学を開学した。
音楽界で活躍する卒業生は多く、盲目のピアニストの辻井伸行氏もその一人だ。国内でも屈指の伝統を誇る音楽大学の学生募集停止は、関係者にとっては突然の決定だった。
募集停止が発表された2020年は、新型コロナウイルス感染症の拡大が本格化した時期ではあったが、上野学園大学では4月以降教授会は一度も開かれず、募集停止について教員がいる前での事前の議論はなかったという。
関係者によると、教職員に対して説明が行われたのは、ホームページで発表される前日の7月21日だった。
学園側は4期連続で入学者数が減少したこと、学園の赤字で大学が占める割合が大きいことから大学を廃止すると説明した。その際、「風評被害」で学生が減少したと話していた。
しかし、その風評被害は「石橋家による経営が引き起こしたものだ」と、多くの関係者が語る。上野学園大学が廃止を決定するまでの経緯を見ていきたい。
学園側が「風評被害」と表現するのは、石橋家による学園の経営をめぐり、2016年頃から様々な問題が報道されたことを指すのだろう。
その一つは、前理事長の石橋慶晴氏が、図書館に所蔵していたバッハの自筆譜を勝手に売却したことだった。同時に、慶晴氏への高額報酬なども問題になり、経営陣と教職員が対立した。
その結果、2016年6月に慶晴氏は理事長を退任する事態になった。ただ、理事では残った。
一方で文科省は、学園に対して役員報酬額の妥当性などについて、第三者委員会による実態調査と検証を要請する。学園は同年10月に第三者委員会に調査を依頼した。
翌2017年1月17日、学園は第三者委員会から指摘を受けた内容と再発防止策を、ホームページで公開している。
公開されている文章によると、第三者委員会が問題視したのは、大きく3点あった。
1点目は、慶晴氏に対する高額な理事報酬と給与だった。委員会は、学園の経営は大幅な支出超過の状況が続き、教職員の給与水準も抑えられているなかで、内部規則を順守せず、「高額であり、適切性を欠く水準」だったと指摘した。
2点目は、学園長だった石橋裕氏への高額な報酬だった。慶晴氏と同様に内部規則を順守しない金額だったとしている。役員への高額報酬が指摘されたことで、国から経常費補助金の減額を受ける事態となった。
また裕氏は、2010年4月以降病気のために学園に出勤していなかった。それでも給与を支払い続けてきたことの合理性には疑義があるとした。
3点目は、慶晴氏をはじめとする石橋家の人々が役員を占めている会社と、学園との取引だった。この会社は校舎などの用務について学園から業務委託を受けていた。第三者委員会は、契約内容に不透明な部分があることと、石橋家に提供された利益から判断すると業務委託料は不相当であったなどと指摘している。
第三者委員会の報告書が出たあとも、学園内部から正常化を訴えた教員と理事会の対立は続いた。学園は、大学の運営改善を求めていた国際的ピアニストの横山幸雄氏や、音楽学部長を務めた村上曜子氏らを解雇した。
解雇された村上氏が2017年5月に学園を訴えたことで、法廷闘争にも発展したものの、この裁判は和解で終わった。
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https://bunshun.jp/articles/-/61138
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