《16回出馬の名物候補》発明家・ドクター中松(93)が「選挙から引退」を明言!「僕がマック赤坂の『泡沫候補の会』に参加しなかった理由」《独占告白140分》
14歳のときに灯油ポンプ(醤油チュルチュル)を発明して以来、発明家の道を歩み続けてきたドクター・中松氏(93)。奇抜な発明とその独特なキャラがメディアで大ウケし、いろんな意味で日本を代表する発明家となったが、1991年に突如として都知事選に出馬して世間を驚かせた。ジャンピングシューズ(フライングシューズ)でピョンピョン飛びながら演説する姿を思い出すと、彼は本当は何がしたかったのかと、今でも巨大なハテナマークが頭の上に浮かぶ。
中松氏は、なぜ選挙に出続けたのか。そして、2014年まで24年間に参院選、衆院選を含め計16回出馬し、全敗したが、彼はそこから何を得たのか。今まで誰も聞こうとはしなかった、生い立ちから選挙に出続けた理由まで、中松氏に訊いた。
◆ ◆ ◆
――まずは先生の生い立ちから伺いたいのですが。
中松 僕は東京の千駄ヶ谷(渋谷区)の生まれで、江戸時代は直参旗本の家系なんです。直参旗本というのは幕府の中枢で、先祖は江戸城に勤めていたんですが、明治維新で追い出されて、千駄ヶ谷に逃げた。父は武士の家で育ちましたが、時代が変わったので明治新政府が設立した横浜正金銀行に勤めることになりました。真面目な銀行員だったんですね。
母は、当時の女子の教育機関では最高峰だった東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大)を出ています。教師の養成機関ですから、卒業して金沢の女子校に赴任し、そこで体育の授業にスキーを導入したり、着物を制服に切り換えたりと、大胆に改革をしていたそう。母方の祖父は医者なんですが新しいことが好きで、自動車を分解したりバラの新種を作ったりと発明家のようなところがあって、私は母方の血を受け継いだと思います。
寒い台所に立つ母のための発明
――中松先生の発明への意欲はお母様ゆずりなのですね。
中松 そうですね。私が初めて発明をしたのは5歳のときです。小さい頃から飛行機が好きで模型飛行機を作っていたんですが、飛行機が安定して飛行できるようにする「自動重心安定装置」を発明しました。
初めて実用新案を取ったのは14歳のときで、今は灯油ポンプとして使われている仕組みを発明した「醤油チュルチュル」です。母が寒い冬の日に、かじかんだ手で冷たくて重い一升瓶から醤油差しに醤油を移しているのを見て、親孝行しなくちゃいけないと思ってサイフォンの原理を応用して作りました。灯油ポンプとして普及したのは戦後になってからですけどね。
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もっと頑張ればええのに
マック赤坂のほうが上だったか
>>3
マック赤坂は区議会かどっかの議員になったから駄目だな
選挙の時に周りにいた奴って、どこの組織の人間だったんだろ
この人癌じゃなかったかな
発明で治したのか?
>>5
90くらいになると癌の進行が遅すぎて加齢で別の病気で死ぬw
マジか!!
こりゃ大変だ!!
フロッピーディスクを発明した人だよねっていうといつも長文で反論される人か
羽柴秀吉もイエスもいなくなったし寂しいなあ。
醤油チュルチュルだけは本当にすごいと思う
まだ引退してなかったのがびっくり
つーかまだ人生から引退していなかったのかw
0勝の王者はこの人なの?羽柴さんなの?
>>36
秀吉17回
ドクター16回
なので秀吉の勝ち
ちなみに羽柴秀吉は20年前の都知事選で
高尾山の麓に100万人収容できる老人ホームを作るというのを公約にしてた
ある意味では先を見る目があった、のかも知れない
頭がいい人だとは思ってたけどすごいサラブレッドじゃん
子孫はどうなってるんだろう
夢のある発明してきたイメージだわ
選挙に受かってたらどうなってたかなぁとは思うね
出馬する時に歳をとりすぎてたのかな
この人の経歴は実際のところ何がどこまで本当なのか
昔テレビか雑誌でご自宅紹介してて、
トイレの便座が純金製だった。
クウェート首長の王宮トイレと同じとオモタ。
ひたすらドクター中松を連呼する選挙カーも見れないのか