松坂屋初代社長の伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)の別邸として知られる「揚輝荘」(名古屋市千種区法王町2)の地下に掘られたトンネルが、一般向けに初公開された。何のために掘ったのか目的は分かっておらず、揚輝荘管理事務所の萩野下進副館長(61)は「揚輝荘のミステリーを実際に感じに来て」と呼びかける。
敷地内に立つ「聴松閣」の地下階から、さらに階段を下ると、壁面がコンクリート製で高さ約2メートル、幅約1・8メートルのトンネルの入り口が見える。かつて敷地内にあった施設数カ所とつながっていたとされる…
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https://www.chunichi.co.jp/article/855169
元々は松坂屋の前身でもある「株式会社いとう呉服店」の初代社長・伊藤次郎左衞門祐民の別荘として、覚王山日暹寺(現在の覚王山日泰寺)に隣接する約1万坪(35,000平方メートル)の森を拓いて築かれた。1918年(大正7年)に最初の建物が移築され、修学院離宮を参考にした池泉回遊式庭園が造られるなどして、最終的に完成した1937年 – 1939年(昭和12年 – 14年)頃には移築・新築された30数棟があったという。大正から昭和初期にかけては皇族や華族、政治家や著名人の他に、外国人も多数訪れ、国内からの寄宿生に加えて、1935年(昭和10年)からは矢田部保吉駐タイ特命全権公使の要望を受け、タイ人の留学生の受け入れも行っていた。
1945年(昭和20年)3月24日に空襲を受けて建造物の多くが焼失。また戦中は日本軍に、戦後は米軍に接収され、その後は松坂屋独身寮として使用された。敷地の多くが開発されて庭園も南北に分断されたが、数棟の貴重な建物と庭園が残されている。2003年(平成15年)から特定非営利活動法人揚輝荘の会が管理を行っており、2006年(平成18年)度末には土地建物が名古屋市に寄贈、2008年(平成20年)5月に市の有形文化財に指定された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%9A%E8%BC%9D%E8%8D%98
待って待って待って!
— ゆみや弥壱(ゆみややいち) (@ya_1_b) February 18, 2024
揚輝荘で1番見たいと願い続けてる場所じゃん! https://t.co/3SeFaBr6Ed
気になっていた地下トンネルが一般公開ですって!!
— 名古屋壬生三郎8️⃣⚔️ (@nagoyatomiburo) February 18, 2024
行きたいです☺️ https://t.co/fC1RvhutsE
これは気になる…… https://t.co/cew8L7HzSG
— お出かけコンシェルジュ@【東海3県】お出かけ、イベント情報⭐️ (@event_tokai) February 18, 2024
謎のトンネル、見てきました
— 勇作 (@eB8UMed624yeEZG) February 20, 2024
揚輝荘がマンションに切り売りされた歴史は昭和と平成のニドに渡りありました
どちらも名古屋のセレブが暮らす豪壮なものです
しかし、体温を感じなかった
グランドメゾンじゃなくて良かったよ pic.twitter.com/eKYULFPLm4
名古屋一お金持ちであった松坂屋創業家伊藤家の大金庫です
— 勇作 (@eB8UMed624yeEZG) February 20, 2024
伊藤銀行は東海銀行となり、今のUFJ
また、伊藤家は竹中工務店創業家とも縁がありました
なのに、揚輝荘再開発マンションは大成建設 pic.twitter.com/1l9q6O0EH3
松坂屋初代社長の別荘「揚輝荘」
— さゆ (@mitikusa_sayu) February 20, 2024
聴松閣地下トンネル入口と地下金庫の特別公開に行ってきました
汪兆銘を匿う計画もあったなど謎の多いトンネル。地下金庫にはどんなお宝が…などと入口部分だけでもロマンを感じます#揚輝荘#千種区#覚王山 pic.twitter.com/sloat6NCyi
秘密のトンネルが開放されていたー!!#揚輝荘 pic.twitter.com/WVX90qIDyR
— 澤村英哉 (@hideya_sawamura) February 20, 2024