ワインスタイン氏寄稿の本文記事はこちら
米調査研究機関「ハドソン研究所」のケネス・ワインスタイン所長の寄稿全文は以下の通り。
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力強い変革につながる戦略的な構想を持つという意味で、ロナルド・レーガン(米元大統領)に匹敵する私が直接知る人物は安倍晋三氏だけだ。
レーガンは1970年代の米国の衰退を食い止め、自由主義に有利になる地政学的変化を起こすことができると認識していた。同じように、安倍氏も、日本が第2次大戦の影の下に生きていたのでは、きわめて独裁的な台頭する中国に対抗し、日本の自由と繁栄を守ることはできないと理解していた。
この2人の偉大な指導者が持っていたのは、構想だけでなく、それを実現する政治的な能力だ。このような政治手腕を持つ人はまれであり、米国人のレーガンへの評価が在任中の支持者を超えて死後に高まったように、日本人の安倍氏への評価も高まるだろう。
安倍晋三氏は、私の友人だ。2003年に私が東京を初めて訪れたときに会った。彼は私よりも速く、はるか上に上り詰めたが、私たちはずっと近い友人だった。トランプ大統領が私を駐日大使に指名したのは、彼との近い関係が大きな理由だ。
お互いに残念だったが、私たちは公的な立場で会ったことはなかった。安倍氏は20年に健康問題で首相を辞任し、私が上院で大使に承認される前に、トランプ政権は終わった。にもかかわらず、私たちはお互いに有益な意見交換と会談を楽しみにしていた。2月にオンラインで会話し、5月に直接会い、今週水曜に東京で会うはずだった。殺人者が彼の命を奪ったのは、私にとっても、日本と世界にとっても悲劇だった。
しかし、安倍氏の人生は日本と米国、世界とインド太平洋地域によい影響を及ぼすには十分長かった。世界のどの指導者よりも早くに北朝鮮の脅威と台頭する中国の挑戦を認識し、安倍氏は、国連中心主義で合意重視の外交から、大胆で外を見据え、米国との新しい同盟に基づく戦略的パートナーとの連携を重視した外交へと転換した。米国にただ従うのではなく、安倍氏は米国の政策と戦略が両国の国益に沿ったものになるように手助けした。
安倍氏には、戦略的な思考に必要な分析力と好奇心があった。それに加えて、優しさと感受性も備えていた。
06~07年の短期間だった第1次政権の失敗で、彼はうちひしがれた。だが、父の安倍晋太郎、祖父の岸信介という政治家一家の使命を達成しようと決意した。国際政治の中心で建設的な役割を果たすために日本を率いるということだ。
逆境において、人の性格が鏡を見るようによくわかるという。失脚した政治家は競争相手の動向に気をもみがちだが、安倍氏は違った。恨みがましく思うことなく、第1次政権が失敗した理由を探り、政治の仕組みに関心を集中させた。日本の官僚機構で、権力の分散は不安定につながる。07~12年に6人の首相が交代し、在任期間は平均1年だった。12年に返り咲く準備をする中で、安倍氏の結論は、首相官邸に権力を集中させることだった。外交面のカギは、13年の国家安全保障会議の設置だった。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20220712-OYT1T50269/