江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜(1837~1913年)の玄孫(やしゃご)にあたる主婦、山岸美喜さん(57)=名古屋市=が、明治期に創設された「徳川慶喜家」の5代目当主として、「墓じまい」と、慶喜の遺品を中心とした史料の寄贈先探しに取り組んでいる。
8年前に病没した4代目当主の叔父から遺言で慶喜家の財産を全て引き継いだ。
一般の墓や遺品とはケタ違いの規模で、個人が永続的に管理するのに限界を感じて、慶喜家を終わりにする決意をした。
「最後の当主として多くの人に、より慶喜を知ってもらう形にしたい」と願いながら落ち着き先を模索している。
4代目である叔父から引き継ぎ
慶喜は1867年、幕府から朝廷に政権を返還する「大政奉還」で第十五代の将軍職を辞した。
明治に入ってから、徳川宗家(本家)の下、静岡や東京で隠居生活を送ったが、1902(明治35)年に、華族最高位の爵位「公爵」を授かった。この際、徳川慶喜家として宗家から分かれた。
慶喜を初代当主として4代目の故慶朝(よしとも)さんまで男性が継いだ。慶朝さんは結婚歴はあったが離婚して独身となり、2017年に闘病の末、67歳で亡くなった。
全文はこちら
https://mainichi.jp/articles/20251110/k00/00m/040/269000c
徳川オークションやるのか
すげぇ金額になりそうだな
>>2
寄贈先探してるって言ってんじゃん
>>2
散逸させたくないから寄贈したいんだと思うけど
きちんと管理ができる博物館となら
格安で譲渡するのでは?
>>7
格安とか言って金取るんかよ
本来だったらいらないものも引き受けてもらうんだから無償で譲渡するのが筋だろ
博物館側がいらないものを自分で処分しようと思ったら金かかるんだから、無償でも引き受けてもらえるなら十分だろう
>>420
美術品などは資産計上されてたりするから
全くの無償というのは考えにくいと思う
まぁ簿価での譲渡になるのでは?
博物館がまとめて引き取ってくれるといいのにね
蜂須賀家(筆子、慶喜の娘)も池田家(仲博,慶喜の五男)もだいぶ前に絶家確定してたしな。
徳川美術館とかあっただろ
そこでええやん
>>11
分家の物は本家では扱わない
>>115
徳川美術館は尾張徳川家なんですけど
慶喜公は大政奉還に導いた名君
管理するのに金かかるし
相続税までかかってくるしな
財団法人にすればいいけど
入場料だけじゃ賄えんし
>>17
結局、人手不足と物価高よな
東京都管轄で徳川博物館作ればいい
徳川美術館あるやん
あれって徳川家がやってんじゃなかった?
紀伊家も後継者が居なくて断絶の危機って聞いた
徳川宗家や御三家も含めて尾張家が一番安定してる
>>22
あそこは尾張家がやってる
尾張家は幕末に最終的には新政府側についたから徳川慶喜の遺品管理なんてしたくないんじゃないかね?
この人に子供おらんの?
さすがに由緒正し過ぎて恐れ多い墓仕舞いやなw
大した家でもないのにこだわるやつがいる一方で、
それなりの家柄の人ほどこういうことをやっちゃう人間の謎。
Wikipediaを見たらこの人の上に兄貴が2人いるようだがなんで末の妹が党首を継いだのかと思ったら、亡くなった叔父の遺言によるものらしいな
色々と複雑な
>>45
一番若いから長く預かれると思ったのかもよ(´・ω・`)
>>45
これなあ…
前当主はわざわざ家を絶やす選択をしたとしか思えない
託す側も託された側もキツい話である
本当は一纏めに引き受けてくれるところが良いね
美術館辺りが喜んで手を挙げそう
>>46
今時、何処の美術館も苦しいよ
まあ、インフレで収蔵品の価値は上がってるが
それらの管理維持にそれと同等以上に金がかかる
>>52
収蔵品の価値(評価額)が上がっても、おいそれと
現金化するようなものでもないからなぁ。
相続税はどうなってた?
ほぼ重要文化財だから、非課税?
ベトナム嫁の本家も子がいないんだろ
>>66
徳川宗家もだけど由緒ある家で本気で存続させるとこは近い血筋の養子で存続させるから何も問題ない。継ぎたがるやつがいるかどうかは別として
そもそも何百年も前からそれが常套。今の上杉家が謙信の子孫だと思ってるやつおらんだろ
徳川美術館で良いだろ
保管とか先のことも考えろよ
水戸なら喜んで引き取りそうな気もするんだな。 時代劇放送してない今黄門様だけじゃ
飽きられるからな。 慶喜様は写真家としても日本ではパイオニアだろうからそっち方面も当たるべき。
維持も大変そうだね
慶喜の子はいろいろなとこに養子に行ったから
慶喜の男系子孫自体は探せばいるはず
宗家の方は財団化して散逸防いでるとか聞いた覚えあるけど、そこじゃダメなんかね?
宗家と分家で確執とかあるんかね
決めたのは先代だし、金もかかるし大変らしいぞ
5代当主山岸さん 墓所は東京都の史跡指定を受けておりますが、300坪もあり、到底個人では管理できません。木を伐ったり壊れた部分を修復したりと、維持するのに大変なお金がかかります。いまも墓所を囲む塀の修繕が必要で、2000万円とも言われており、寛永寺とも相談をしておりましたが、宗教が違う墓地の事まではなかなか難しいかと思います。
墓じまいを決めたのは慶朝叔父なのです。こんな苦労はもう終わりにすべきだ、という決断は正しいと思っております。その遺志を受け入れがたい親族の存在もなきにしもあらずですが、今後は親族で守るのではなく、しかるべき所に寄贈し墓地そのものは現状維持していただけるよう、働きかけている最中です。
美術館ではなく、大学とか歴史系研究機関で所蔵するのが
ふさわしいものの方が多そうだね
> 慶朝さんが千葉県松戸市の戸定(とじょう)歴史館に一時的に預けている史料は約6000点あり、6割が書簡、3割が写真、残り1割が油絵や工芸品という。
> 「中には、慶喜が父親から受け取った約125通の書簡をまとめた『烈公御真翰(れっこうごしんかん)』がありますが、これも1点と数えており、全体では膨大な数になります」
>>178
これそのまま松戸市に預かってもらうわけにはいかんのかね
松戸も博物館あるし
史料的価値が高いなら縁のある大学あたりかな
散逸して国外に流出したら目も当てられんが

