悪書と呼ばれないように、一部の世論に迎合した寺田先生と、叩かれようとバイオレンスやエログロナンセンスを貫いた作家。
直接批判された、さいとう・たかを先生は最晩年まで仕事を抱え。
寺田先生は、漫画家の中でも孤立した。
自分の理想を持つのは良いが、それを他の漫画家や出版社に押し付けては、やはり厳しい。
ならば自分で出版社を作り、理想の本を出すべきで、作家が編集権に介入するのも、越権行為だろう。
有害図書運動をやった連中は、なんの反省もなく、責任を取ることもなかった。
今、表現規制を叫んでいる連中も、同じことだろう。
この件は、示唆的だと思う。
悪書と呼ばれないように、一部の世論に迎合した寺田先生と、叩かれようとバイオレンスやエログロナンセンスを貫いた作家。
— 喜多野土竜 ⋈ (@mogura2001) September 25, 2025
直接批判された、さいとう・たかを先生は最晩年まで仕事を抱え。
寺田先生は、漫画家の中でも孤立した。… https://t.co/pMm6ECw0yV
1960年代からの漫画業界は、劇画ブームの影響から、リアルで映像的な画調と刺激的なストーリーがもてはやされるようになり、正統派児童漫画だけ書き続ける寺田の作風は、時流からも取り残される形になっていった。寺田は劇画ブームへの強い反感を示し、仲間内での集まりでもこれを度々批判した。安易な劇画ブームへの批判に同感だった仲間たちも、会う度に批判だけを繰り返す寺田の言動に、かつての頼もしさを感じなくなっていった。さいとう・たかをによれば、一面識もない寺田から突然手紙が届き、「そういう低俗なものを描くな」と諭されたことがあったという。最後には、自分が執筆している雑誌の編集長に、劇画作品の連載を全て打ち切るように進言するという荒っぽい行動まで出たが、独善的な考えも目立ったために聞き入れられず、周囲からも反感を買い、逆に自分の連載が打ち切られるという顛末となった。寺田は『えすとりあ』季刊2号(1982年)で、「ちょうど高度成長の始まりで、大きいことはいい事だ。儲けることは美徳であると、モーレツ時代に突進して行ったわけで、漫画も雑誌もドギツク、エゲツナクなる一方で」と批判的に語っている。
これらの出来事を積み重ねるうち、寺田は徐々に著作のペースを減少させ、寡作となっていった。まず1964年、『暗闇五段』の終了を最後に、週刊誌の連載から撤退。活動の場は小学館の学習雑誌などの月刊雑誌に限定されるようになったが、作風も正統派漫画とは言えなくなったとの批判が増え、ついに1973年には漫画業そのものから完全に引退した。その際、手塚がしばらく休んで思いとどまるようにと説得したものの、耳を貸さなかったという。手塚や他の漫画家仲間も、内心では頑固な寺田にほとほと困っていたが、元々の漫画への信念と技量を思い、何とか復帰させようと幾度も諭したものの、功を奏することはなかった。この時期、トキワ荘時代の仲間に送られた手紙に書かれてあったのは、現役時代からは想像もつかないほど弱気な内容で、受け取った方も驚いたという。漫画家を引退した一方、1981年4月には、『漫画少年』の歴史を記録した「『漫画少年』史」(湘南出版社刊、ASIN B000J7TRYE)を編纂・出版した。
引退後は、トキワ荘時代の仲間とすらほとんど会わなくなる。1981年、取り壊しが決まったトキワ荘に当時のメンバーが集う「同荘会」が企画されたとき、寺田は招待されながら姿を見せなかった。この会合を題材としたNHK特集『わが青春の「トキワ荘」 現代マンガ家立志伝』には、個別に取材したビデオ収録で出演している。このように人を避ける一方、助言を求めてきた漫画家志望の若者には、直接会ってアドバイスをすることもしばしばあったという。寺田は晩年の1989年に毎日新聞のインタビューに答え、「60年(1985年)にちょっとしたカゼがもとで、全身につぎつぎに病気が出た。手塚さんの葬儀にも出席できなかったぐらいです」と明かし、漫画家仲間との断交は、自身の健康問題に起因するものだったことを示唆している。
1990年6月23日、突然トキワ荘の仲間(藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一、つのだじろう)を自宅に呼んで宴会を催し、終了後、三々五々去ってゆく仲間たちにいつまでも手を振り続け、「もう思い残すことは無い」と家族に話したという。翌日、藤子Ⓐは礼を伝えるため、寺田宅に電話をかけたが、寺田は電話口に出ず、妻を通じて「今後一切世俗とは関わらない」との旨を伝えた。なお、この宴会の模様は鈴木がホームビデオで撮影しており、後年ヒストリーチャンネル制作の番組『20世紀のファイルから-証言・あの時、あの人-』(第29話:マンガがすべてだった・「トキワ荘」の頃)で一部が公開されている。鈴木はこの時に撮影したビデオのコピーを寺田に進呈しており、遺族の話では彼は晩年そのビデオを繰り返し観ていたという。
その後は一人自宅の離れに住み、母屋に住む家族ともほとんど顔を合わせることはなかった。朝から酒を飲み、妻が食事を日に3度届ける生活を続けていたが、1992年9月24日に朝食が手つかずで置かれたままになっているのを妻が不審に思い、部屋の中に入ったところ、既に息絶えているのが発見された。妻は晩年の寺田について「身体が悪くなって、病院に行ってくれと頼んでも、行こうとしないんです。色々手を尽くして、あきらめました。この人は、もう死にたいんだなって…」と、ただ見守るしかなかった状況を語っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%AA
さいとう・たかをさんのほうが自前で出版社作っちゃったんですよね。最悪の場合はゴルゴもリイド社の雑誌に載せればいいとか考えてたんでしょうか?
— ハチマキくろだ (@hatimaki_kuroda) September 25, 2025
ゴルゴは単行本にしても売れないと小学館にいわれ、自前の出版社を作ったという経緯だったそうです。
— 喜多野土竜 ⋈ (@mogura2001) September 25, 2025
結果、高円寺駅前に自社ビルを建てるほどの売上が。
漫画の良い悪いは読者が決めるもので、作家は自分が良いと思った漫画を描き続けるだけ。そもそも表現規制を叫ぶ連中は漫画を買わないし……
— 佐藤 正 (@manngakaki) September 25, 2025
そこなんですよね。
— 喜多野土竜 ⋈ (@mogura2001) September 25, 2025
面白いは、千差万別で。
手塚治虫先生の、漫画はおやつ論で言えば、主食ではないから、砂糖ベットリも玄米フレークでも、好きに食べれば良いですし、食べなくてもいい。笛ラムネでも麩菓子でもいい。
国内のバッシングを乗り越え、文化越えて今や世界的に読み親しまれてると知ったら、どう反応するでしょうかね
— はくたか (@hakutaka630313) September 25, 2025
良いか悪いかではなく、面白いか面白くないかで読者は読むものを決める。選択権は読者側にあるんすよ…。
— 宇田川ナナ (@ishidakiri) September 25, 2025
夢を与えるとかよく言うが、商業的に考えたらアクションとて悪くはないんだよな
— 葉隠小太郎⋈ (@GDxh8kRnkN23413) September 25, 2025
(今でこそ、様々なジャンルが生み出されてきた漫画もそこまで成熟できてなかったとも言える)
テラさんの晩年は緩やかな自殺だと思う。
— Masahiko Tanaka (@mt19860131) September 25, 2025
家の離れにこもって亡くなった事からも。
テラさんの功績はスポーツ漫画の先駆けである事ですね。 https://t.co/hebf0ZV0gN
「ならば自分で出版社を作り、理想の本を出すべき」
— まっくろなねこ (@blackcat009) September 25, 2025
実際に、白戸三平はカムイ伝を描くために自分でプロダクションを作ったのよなぁ https://t.co/JxKKXqTcwp
死後もなお、ゴルゴは連載が続いている・・寿命も超越してる https://t.co/ndgpQ52Y1d
— めろんぱん (@gtsgrknjk) September 25, 2025
寺田なんて人知らないもんなぁ。 https://t.co/CFW5Kiupeb
— 蕎麦美 (@ramendaisuki999) September 25, 2025
寺田先生には申し訳ないけど寺田先生が提唱する漫画が主流になっていたらボクは漫画に興味を持たなかっただろうなぁ。なんせボクの原点は山上たつひこ先生や永井豪先生なんだから(苦笑) https://t.co/Rkx348aF5w
— うるの拓也@カソクキッズ連載再開中 (@takuya_uruno) September 25, 2025
子供の頃にスポーツマン金太郎は読んでいましたが、同じく身体を突き抜ける様な衝撃的で魅力的な体験をさせてくれた漫画はテラさんが批判したかもしれないそれらの作家さん達の作品ですから………。
— ろぼ 水戸@喪中 (@ROBOmito) September 25, 2025
バイオレンスジャックの「外道会vs浮浪児たち」なんか寺田先生は絶対に認めなかっただろうと思うのですが、ボクはそれをゾクゾクしながら夢中で読んでいたので・・・
— うるの拓也@カソクキッズ連載再開中 (@takuya_uruno) September 25, 2025
ジャックが人質の幼女ごと首を跳ね飛ばすところなんて今の目で見ても凄く衝撃的なシーンですよね。
— ろぼ 水戸@喪中 (@ROBOmito) September 25, 2025
でもジャックならそうしないといけない。
そうなんですよ。あのシーンは当時もかなり批判されたらしいですが、あの世界観とジャックというキャラなら必然なシーンです。永井先生はあの衝撃カットを叩きつけることが作品に必要だと判断した。よくぞ描いた、よくぞ掲載したとボクは思っています。
— うるの拓也@カソクキッズ連載再開中 (@takuya_uruno) September 25, 2025
このエピソード読むたびに、客を見誤った上に読者であるこどもを信じられなかったんだろうなぁ、と思います。 https://t.co/Ms2inppfVB
— 熊野風。 (@nobody2knows) September 25, 2025
寺田ヒロオ!
— 藤栄道彦 (@michihikofujiei) September 25, 2025
やつは漫画家としてあまりにも純粋すぎた!
それが弱さにつながったのだ!!
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言ってそうな漫画家は誰だろう。 https://t.co/XWPxrlyqEU
テラさんの師匠が晩年、世の移り変わり関係無くテラさん自身が漫画を描けなくなったのではと指摘していたのと、有名な他作家への攻撃は週刊連載時の殺人的スケジュールで心身が病んでしまったのと同時に、本人も自覚していた様に自身が神格化された重圧も重なって二度とペンを持てなくなったのかも https://t.co/XmnbCwXAHE
— 夢乃むえ🐱 (@yumemue) September 25, 2025
テラさん、真面目でいい人だったんだとは思うよ。
— プレーンビスケット (@plain_bis) September 25, 2025
いい人が正しいとは限らないだけで。 https://t.co/zT3UH6oxUf