『鬼滅の刃』が右翼作品かの議論は韓国では様々な観点から活発に行われている。
— Dr. Japanese Studies(日本学) 【Goal=Writing Book】 (@drjpstudies) August 28, 2025
ただ、主人公たちが腹いっぱいに食べる場面から、米騒動(1918年)以降、1920年から始まった産米増殖計画による米収奪があったのを知ってると、「その米はどこの米だい?」とは思うようになるよね。 pic.twitter.com/8OA2CO8RHX
1918年米騒動(1918ねんこめそうどう)とは、1918年(大正7年)に日本で発生した、コメの価格急騰にともなう暴動事件。日本近代史において単に米騒動とした場合は、本事件を指す。
第一次世界大戦の影響による好景気(大戦景気)はコメ消費量の増大をもたらし、一方では工業労働者の増加、農村から都市部への人口流出の結果、米の生産量は伸び悩んでいた。1914年(大正3年)の第一次世界大戦開始直後に暴落した米価は約3年半の間ほぼ変わらず推移していたが、1918年(大正7年)の中ごろから上昇し始めた。1917年(大正6年)のシベリア出兵や、大戦の影響によって米の輸入量が減少したことも米価上昇の原因となった。
米価格高騰を見て、次第に米作地主や米取扱業者の売り惜しみや買い占め、米穀投機が発生し始めた。そのなか寺内正毅内閣は1918年(大正7年)8月2日、シベリア出兵を宣言した。これは戦争特需における価格高騰を見越した流通業者や投機筋などの、投機や売り惜しみを加速させた。
大阪堂島の米市場の記録によれば、1918年(大正7年)の1月に1石15円だった米価は6月には20円、翌7月17日には30円を超え、さらに伊勢の相場師・福寅一派の買いあおりや地方からの米の出回り減少で、8月1日には1石35円、同5日には40円、9日には50円を超え、各地の取引所で立会い中止が相次ぐ異常事態になった。一方で小売価格も7月2日に1升34銭3厘だった相場が、8月1日には40銭5厘、8月9日には60銭8厘と急騰し(当時の労働者の月収が18円 – 25円)、世情は騒然となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1918%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95
