50年近くにわたってツキノワグマの調査を続ける日本ツキノワグマ研究所の米田一彦所長に、日本列島に起きている異常事態の真相を聞いた。<中略>
「まず知ってほしいのは、クマと人間の関係は時代や地域によって全く実情が異なるということです。古い新聞によれば、明治から戦後まで農村部では野生動物が貴重なタンパク源で、毛皮やクマノイ(漢方薬になる胆のう)も高値で売るため、今とは反対に人間が村人総出でクマを襲う時代でした。戦後一度は絶滅しかけ、徐々に回復したものの利用は続き、2000年頃からようやく保護の時代に移行。10年頃から個体数が増加に転じ、15年頃からは再び駆除の時代に入っています。
また、西日本では山と集落が入り組んでおり、人とクマの距離が近いために被害が多かった。ただ、個体数は多くないので保護する必要もあって、奥山放獣といって捕獲したクマを山奥に放ったり、集落全体を電気柵で囲うなどの対策を行ってきました。一方、東北は山が深く、正確な調査には限界があった。長年にわたって、個体数を過小評価し続けてきてしまったのではと思っています。やがてクマが増え、若いクマが高齢化で人の手が入らなくなった里山に生息域を広げて行きました。正確な数は分かりませんが、20世紀末と比較すると4~5倍になっているのではと思います」<中略>
50年近くにわたってツキノワグマを研究してきた米田氏だが、この先のクマと人との関係性については悲観的な見方を崩さない。
「年間に180人も襲われる、こんなに悲しくて恐ろしいことはありません。私も研究者として、20世紀までは保護に尽力してきた。しかし、クマの繁殖力がここまで強かったとは思い至らなかった。今でも人を襲ったクマ以外はなるべく殺したくない、何とか助けてあげたいという思いは、私を含め研究者全般から聞きますし、遺伝子分析で加害グマの特定も行っています。ただ、奥山放獣では43%は現場に戻ってきてしまい、5年ぐらいで人の怖さを忘れてしまうんです。
絶滅の恐れのある地域では奥山放獣も必要でしたが、中国地方でも増加に転じており、今後は駆除、狩猟の再開が必要になっている。また、長野以東の生息状況も安定しており、毎年知事によって一定の上限が決められた捕殺は認められている。私は2年後の25年に、今年以上の大出没が起こると予想しています。北東北では、今やクマに人が押し負けているのです」
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