東日本大震災の時に無許可で大阪から支援に駆けつけた2台の路線バスがいた。大阪市営バスに支援の要請が来たのは震災直後の金曜の夜で監督庁は月曜まで開かない。深刻化する被災地の状況を見ていた2人の担当者は「帰ってきたら一緒に怒られましょか」と言い無許可で被災地に向け支援物資を積み出発した pic.twitter.com/xuJfR13Qkw
— 商用車メーカーの中の人 (@trucknakanohito) June 23, 2024
仙台市内ですが、被災し、約1ヶ月ぶりのガス復旧に来てくださったのは大阪ガスの方でした。
— ユウ (@sendai_daccha) June 23, 2024
久々に風呂に入れた、あの感動は忘れられないです。
今年、大阪へ行く機会があり、人情に厚い町だということを再認識しました。
感謝の一言です。
このバス、ギヤ比の関係で高速道路走行が不可なので、全て下道で被災現場まで進出。搭載した物資を降ろした後に地元バス会社に無償供与されて被災地復興の一端を担いました。
— よんてつきかんし735 (@yontetsu735) June 23, 2024
雇用者も被雇用者も余裕があり、良くも悪くもなあなあで通じるからこそこの動きができた。
— Chestnut (@Express5800_GT) June 23, 2024
戦時中、空襲時に勝手に御堂筋線運行して救助列車走らせていた大阪市営だからこそできたことかも。
規則や法令遵守も大切だけど、人を助ける時には臨機応変も必要と分かる事案
— レオン公爵閣下 (@reonnkakka) June 23, 2024
規則云々より実利を取るところがいかにも関西人って感じがして好きなエピソードです。
— 陸蒸気(おかじょうき)@柱島泊地 (@kayatetsufan) June 23, 2024
阪神淡路大震災で街が恐慌状態だった時、家の前を山梨県警のパトカーがサイレンを鳴らして通過して行きました。
— 零☆ 💉×5済 (@rei_a6m2) June 23, 2024
東日本大震災の時、山陽道を走っていると対向車線を広島と岡山の消防車・救急車が隊列をなしてやはりサイレンを鳴らして走って行きました。
こういうのを見ると支援は有り難いと感じます
後から「それは当然のこと」として正式に認めて咎めなかった平松市長も偉いのよ
— GearJiro (@gear_jiro) June 23, 2024
トップの有り様が行政を作る実例
大阪の新幹線車両基地が大雨で水没の危機に瀕し非番の運転士さんたちが集まり基地の車両を高架線上に移動して車両を守った話を思い出します。
— HY GX (@gx_hy3218) June 23, 2024
彼らの徹夜の奮闘を聞いた東京から翌早朝、復旧資材と交代要員を乗せた新幹線が大阪に向かいました。
「2人の担当者」と言っても、かなり高位の人だから2人だけで決めて乗務員を募って強行出発したと言う話ですね。だから、運転手さん達は基本的に怒られないで済むから、自分たち二人だけで局長(交通局の局長)から怒られよう、と言う話ですな。美談ですわ。
— 松本哲堂☆ほしみらい推し (@lk5SWqWvRP17867) June 23, 2024