1:名無しさん




日立鉱山の大煙突(ひたちこうざんのだいえんとつ)は、茨城県日立市の日立鉱山で1915年(大正4年)3月1日に使用が開始された高さ511フィート(約155.75メートル)の煙突である。日立鉱山の大煙突は完成当時世界で最も高い煙突であり、日立鉱山の経営の重荷となっていた煙害問題の軽減に役立った。

その後は鉱工業都市日立の象徴的な存在となり、また大煙突の建設は新田次郎の小説『ある町の高い煙突』の中心テーマとして取り上げられ、その存在が広く知られるようになった。しかし1993年(平成5年)2月19日、約3分の1を残して倒壊してしまう。倒壊後に改修が行われ、高さは54メートルとなってしまったが煙突としての利用が続けられている。

1976年(昭和51年)7月の自溶炉閉鎖後、大煙突の老化がささやかれるようになった。煙突表面の汚れやコンクリートの脱落が目立つようになってきたのである。1991年(平成3年)の夏頃には大煙突の一部に穴が開いているのが確認され、斜めに亀裂が走っているのも発見された。このような大煙突の老朽化が明らかとなったため、煙突の保全策の検討が始まり、ゼネコンへの接触も始めていた。しかし修理を行うにしても大煙突の巨大さと現場の足場の悪さ、そして何よりも作業中にコンクリート片が落下する危険性があり、修理を行うにしても困難が予想された。

1992年(平成4年)11月末には大煙突最上部の鉢巻部分の一部が欠けたことが確認された。そして1993年(平成5年)に入ると、煙突本体が傾いていることが観察された。これは大煙突にいよいよ寿命が訪れようとしている予兆と見られた[137]。

1993年(平成5年)2月19日、大煙突は下部約3分の1を残して倒壊し、煙突の倒壊によって落下したコンクリートによって煙道の一部も破損した。倒壊の原因は1974年(昭和49年)に名古屋大学工学部土木工学科が大煙突の調査を実施した際に指摘した、建設時にコンクリートの打ち継目処理が不十分であった点にあると考えられている。また崩落したコンクリートの量は約1,200トンと推定された。大煙突の倒壊は煙突を長年シンボルとしてきた日立市民に大きな衝撃を与えた。マスコミ各社は日立のシンボルの倒壊を報道し、大煙突の周辺は危険防止のために立ち入り禁止とされたが、連日多くの市民が大煙突の倒壊現場近くを訪れ、また大煙突を望む大雄院にも多くの市民が詰め掛けた。

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