1:名無しさん




特にフランスではそれまで日本映画をマイナー扱いし[178]、アートシアター形式の小劇場でしか上映されなかったという前例を破り[152]、1976年6月30日からパリおよび近郊のゴーモン系劇場17館で一斉公開され[33][192]、8週間のロングランヒットを記録[7][152][110]。この時期、フランスはバカンスシーズンに当たるが[193]、この年夏にパリで公開された84本の映画のうち、第4位の興行成績で[193]、外国映画ではこの年カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した『タクシードライバー』に次ぐ2位だった[194]。ヒットの理由は「フランスにも日本の新幹線に触発されて開発中だった高速鉄道のTGVがあったから」との声もあり[7][193]、約44万人の動員を記録し[5]、100万ドルの外貨を稼ぎ[69]、会社に3億円の収入をもたらしている[69]。フランスでの大ヒットを皮切りに世界各国で公開され、続々大ヒットを記録し、多くの国で日本映画の興行記録を更新[195]、南アフリカ共和国では日本映画初の大ヒットとなり[195]、同国ではアメリカ映画のヒット作2~3週興行に対して3週以上続映された[195]。オーストラリア・ニュージーランドは、20世紀FOXの配給でヒット[195]。東南アジアは1976年後半からの逐次公開で、千葉真一と志穂美悦子が国民的人気を誇るインドネシア(女必殺拳シリーズ#興行2)では予想通りの大ヒット[195]。ブルガリアでは当時、ソフィア-ブルガス間に160km/hで走る自慢の超特急を運行していたが[193]、それを遥かに凌ぐスピードの超特急に感心し、それもコンピューター制御にビックリし[193]、観客はドヨメキと拍手、溜息の連続で、映画が終わると観客はグッタリしていたといわれる[193]。当時のヨーロッパの一般の人たちの日本に対する知識はごく僅かであった[193]。ドイツでは『Panik im Tokio-Express 』[196]、他にスペインで『Panico en el Tokio-Express 』[196]、イランで『BOMBA U SUPEREKSPRESU 』[196]など、1976年12月の時点で120か国で公開されたとされ[152]、ソ連および、東欧圏の全ての国で公開され[152]、ソ連では2500万人以上が観たのではといわれ[133]、100か国のポスターが存在するといわれる[53]。犯人側と国鉄側ともに労働者に焦点があたっている内容ゆえか、東ドイツなど共産圏でも公開され好評を得た。[要出典]

全文はこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%E5%A4%A7%E7%88%86%E7%A0%B4