昭和30年代くらいのありふれた農村の風景は、誰も記録する価値を認めていなかったせいか、ほとんど残っていない。だから昔の農村を舞台にしたアニメに植生遷移が進んで成長しきった現代の雑木林が描かれるというおかしな事が起きる。さらに画像になった事でかつてを知る人の記憶も上書きされてしまう。
— 工房うむき インセクトフェア出展 (@kobo_umuki) September 17, 2024
まさかこれが実際の姿で、右側の林も翌年には伐られるくらい過酷に利用されていたなんて、当時の多摩丘陵にゼフィルスを採りに行っていても記憶には全く残っていなかった。パルテノン多摩歴史ミュージアム発行の「多摩の里山 『原風景』イメージを読み解く」より1968年の写真。 pic.twitter.com/m55OjmYDUm
— 工房うむき インセクトフェア出展 (@kobo_umuki) September 17, 2024
40年くらい放置された雑木林はまるでアニメのように美しい… pic.twitter.com/vWR5ROrjDm
— 工房うむき インセクトフェア出展 (@kobo_umuki) September 17, 2024
里山という言葉が一般的に使われるようになったのは1990年代初頭。しかしすでにイメージが色付けされていたので記憶すら上書きされてしまったようだ。そして「里山は日本の原風景」「自然と人間の共生の場」という肯定的な認識が強まる。かつての「極相林帝国主義」「鎮守の森は心の故郷」の裏返し。
— 工房うむき インセクトフェア出展 (@kobo_umuki) September 17, 2024
極相林帝国主義というのは1980年代くらいまで主流だった、拉致から植物が成長して草原→落葉樹林→照葉樹林と植生遷移していって安定した極相林になったものが最も自然度が高いという考え方。現在では生物多様性の高い環境とされる水田、草原、雑木林などは自然度の低いものとみなされていた。
— 工房うむき インセクトフェア出展 (@kobo_umuki) September 18, 2024
ここから生まれたのが「自然は手をつけなければ守られる」という思考と自然保護活動。しかし人間による継続した手入れという「小規模な自然破壊」が里山の生物多様性を支えており、手入れ不足が多くの絶滅危惧種を生んだという事実の前に、大幅なパラダイム転換を求められて混乱した。
— 工房うむき インセクトフェア出展 (@kobo_umuki) September 18, 2024
畑や里山…
— たま、👻hantutama (@hantutama) September 18, 2024
茶畑を囲む桑の並び。お蚕さんのため桑は常に枝を短く刈り込まれ子供の背より低い。
雑木林のクヌギ達も薪やその他に繁く枝打ちされ背は低く幹はゴワゴワと曲がっている。そういう木には甲虫が多い♪
それが記憶に刻まれてるイメージ。
今時の真っ直ぐ高く伸びた雑木を見て「えぇっ⁉️」
桑畑は忘れられていますね。林はごまかせるけど「椿三十郎」に出てくるような低い桑の枝がずっと遠くまで続いている光景は今はどこにもないんじゃないかと思います。
— 工房うむき インセクトフェア出展 (@kobo_umuki) September 18, 2024
黒澤明の時代劇を見るとよく木がほとんど生えてない山がてきて西部劇の影響なのかなと思ってましたけど、実際にそんなはげ山が珍しくなかったんでしょうね。
— miyoshi101 (@REDPILLHHN) September 18, 2024
「七人の侍」で野盗が駆け下りてくる斜面は、聖地巡礼の方が見つけましたが原生林に近い植生になってました。
— 工房うむき インセクトフェア出展 (@kobo_umuki) September 18, 2024
落ち葉を集めて腐葉土にして肥料、大きな木は薪にして燃料になるから、管理されているんですよね
— Makotoからあげ紅生姜💜🐥☀️ (@makoto1221) September 18, 2024
今でも維持しているのは川越いも農家あたりhttps://t.co/QodNnsBAXu
計画して作られた里山ですね。それ以前は不毛だった武蔵野の草原でした。
— 工房うむき インセクトフェア出展 (@kobo_umuki) September 18, 2024
関ケ原の合戦の折、家康は桃配山に、三成は松尾山に陣を張った。当時の里山は薪や飼い葉や刈敷の採集で収奪され尽くしてるから、草山や疎林で見晴らしが良かったんですね。
— 角田陽一 (@OV3aOe1T0LhYvzA) September 18, 2024
現代人はそれを知らないから、わざわざ山林を切り開いて陣を張ったのか?と誤解する。
NHKには「明るい農村」という番組が、毎週やってたので、記録はあると思いますよ。https://t.co/SwcIUqlgwG明るい農村
— hoehoe (@hoehoenyako) September 18, 2024
こういうのあるあるすぎる。
— insulated truck運転手 (@phoenix_corner) September 18, 2024
日常風景すぎて誰も記録してないから、後世に真の姿が全く残らないやつ。
米軍が写した航空写真がちょうどその時期の日本全道の風景全て記録しているから不幸中の幸い
— kumamasa (@kumamasa7) September 18, 2024
70年代に合掌造りの板倉集落がロケに使われるようになってよく映画に出てくるけど、屋根は雑草生えてるし山は木で埋まってるのでどうなんだろ。 https://t.co/oo4oIKzeqY pic.twitter.com/39ROy4uSMd
— Bộ Giao thông Vận tải và Bưu điện (@guenhntherock) September 18, 2024
後の時代の我々がそれに価値を見出したのは、それが失われたからであって、当時の人が特別な価値を見出し継承しようとは思わなかった結果でもある。
— なげなわぐも (@anhebonia) September 18, 2024
現代の我々も同じで、古のインターネット草創期の個人のコンテンツの多くは既に失われている https://t.co/PzwF0xsZ4Y
昭和30年代といえば映画全盛期、そこには当時の農村風景もたくさん登場する。
— はちわれくろねこ (@09L0ZnbwHh31Lbp) September 17, 2024
とはいうもののいつでも見られるかというとそうでもないところが辛い。お、この作品DVD化したと思っても初回プレスだけで買いそびれてしまったり・・・ https://t.co/NhpQ9ueXk7