《もしソ連軍の大戦車部隊が侵攻してきたとき、どれだけ対抗できるのか。語り草になっている演習が84年10月、北海道大演習場で開かれた。》
《自衛隊側が1340人、戦車など106両。ソ連軍を想定した攻撃側は実際の戦力に照らして2120人、260両で臨んだ。結果は攻撃開始からわずか17分半、自衛隊側の防衛ラインはもろくも崩壊した。旧日本軍がソ連の戦車部隊に大敗を喫した39年のノモンハン事件を思い起こさせる結果だった。》
前出の軍事ジャーナリストは、かつて第2師団の関係者に取材をしたことがあるという。
「自分たちが壊滅状態になるという前提は、第2師団の誰もが共有していました。実際、壊滅後についても指示が出ていました。第2師団が配置されている旭川市は、春先ならギョウジャニンニクが自生します。第2師団の自衛隊員は誰もが、『自分たちが壊滅してもゲリラ兵となり、春なら自生しているギョウジャニンニクを囓り、1日でも生き延び、1人でも多くのロシア兵を殺す』ことが重要だと理解していました」(同・軍事ジャーナリスト)
第2師団が“捨て石”ならば、本格的反撃の役割を担っていたのが千歳市に配置されている陸上自衛隊第7師団だ。
音威子府駅からJRを使えば、千歳駅までは約4時間半となる。
「そもそも自衛隊の第7師団の歴史は、北海道をロシアから防衛する任務を担っていた屯田兵を母体とし、明治29(1896)年に編成された旧日本軍の第7師団を前身とします。第7師団は特に冷戦下、『陸上自衛隊で唯一の機甲師団』として知られていました。重戦力によってロシア軍に打撃を与えることを期待されています。第2師団が捨て石となって時間を稼ぐ間、第7師団が本格的反攻を担い、アメリカ軍の到着を待つというのが基本的な作戦プランというわけです」(同・軍事ジャーナリスト)
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https://www.dailyshincho.jp/article/2022/03151102/