「江戸時代の目薬は軟膏なのに「2階から目薬をさす」という慣用表現は当時からある、奇特な方が当時の目薬の使用方法を記録していたおかげで……」のコメントページ
-
1 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NTI5OTU0N
まあ電子データ保存だから今後は残らないよ、残っても中身見られない。
ITの時代からITをうまく活用する時代になってきたな、どう組み合わせるか。 -
2 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NTM3MzMyM
軟膏は油だから水に溶けないぞ
-
3 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NTg3Nzc3O
江戸時代にも液体が煎じ薬であったはずだけど、、、、
市販薬として広く売られるようになったのは明治に入ってからか
ヘボン式ローマ字のヘボンがどうのこうのって話・・・違ったか -
4 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NTc5ODY4M
江戸時代の目薬で検索すると軟膏だけじゃなく粉を水に溶くものも液体のものも多種多様あったみたいだぞ。
-
5 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NTIyNDc1N
>>1
数百年でも残るデジタルデータは無さそうなので
ますます物理的なデータ保存が重要になりますね -
6 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NDQ1Nzg5M
有名な福岡の正明膏という名の須恵の目薬は
二枚貝の貝殻に入れてあるペースト状のもの目の縁に塗ったり、水に溶いて使用した
江戸時代に現代のような目薬の容器は無いもんなw -
7 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:OTM3NTQ1M
>>2
軟膏は油性のものが多いが、水性のものもあるぞ
あと、昔の話を現代の常識で語るのは頭悪すぎないか? -
8 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NDgxMDE3N
この薬、今でも売ってんだよな
さすがに点眼になったるけど -
9 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NDgyOTYyO
何も知らないワシの率直な意見としては見苦しい言い訳にしか聞こえない。
-
10 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NjA4MDg4N
極論、石板に刻むのが物理保存としては最強なんよな
ハムラビ法典まだ読めるし -
11 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:MTc4MjUxN
江戸時代のラブローションは
オクラみたいな粘り気のある植物を乾燥させて粉末にしたものを
行為の際に口に含んでドロドロに溶かして使用したとか
目薬みたいな身近なものも当時どうやって保存していたのかと改めて考えてみると
なるほどね〜という感じだね -
12 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NTM5MTIwM
途中のつぃたーかえっくす、保存、名前変えたり記録保持としては不安なんだが。
百年単位ログないだろ、利用なけりゃ消える。 -
13 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:MjQ5NjI3M
黒田官兵衛が売り歩いていたという、アレですね。
おかげで「目薬屋」と言われたそうで。 -
14 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NTI3NjQ4M
液体小分けして売るには壺しかないような時代だからね
-
15 名前:匿名
2025/07/25(金)
ID:NzU4MjMxM
子供の眼病に母親の母乳を使う風習があったはずなので
目に使う薬が液体という発想はかなり古くからあったのでしょうね -
16 名前:匿名
2025/07/26(土)
ID:MjYzOTk1M
防腐剤がないんだから水っぽかったらすぐ腐っちゃうよね
現代であっても、目薬容器の先端に触れないようにと注意書きがある
だから、使う直前に調製するわけだ
それにしても、昔はきれいな水を用意するのも大変そうだよな
煮沸消毒をした水を使っていたんだろうな -
17 名前:匿名
2025/07/26(土)
ID:MjE1NjA4M
※2
まぁ正確には溶かすじゃなくて撹拌だろうけど江戸時代はそこまで化学進んでなかっただけだろ
・個人への誹謗中傷
・特定の民族に対する差別的表現
・根拠なき在日、朝鮮人認定
・殺害を示唆するコメントなど
・NGワード回避
上記に該当するコメントはご遠慮ください
悪質な場合は書き込み禁止措置等が取られることもあります