1:名無しさん


(戦艦大和の母港・呉を訪ねて:17)「朝日は戦争反対やらんか」 社長へ石原莞爾からの伝言

 戦中、軍部の関係者から、朝日新聞に「戦争反対」を訴えるよう働きかけられたこともあった。

 戦時下で朝日新聞出版局編集部員だった所武雄が自著「狂った時代」(1955年刊)に、当時陸軍中将だった石原莞爾と交わした会話を書きとどめている。石原は陸軍内で、後に首相となる東条英機と対立し、日米開戦前に「左遷…

全文はこちら
https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15722223.html

 

4:名無しさん


いやさすがに朝日でもずっと戦争反対なんて大嘘言えないだろ

 

11:名無しさん


勝てる戦をなぜやらぬは朝日だっけ?

 

13:名無しさん


実話ですか?

 

14:名無しさん


どの口でそれを言うか

 

15:名無しさん


そもそも思想に関係なくほとんどの人は戦争反対だからな

左翼はなぜか自分らと違う思想の人間は戦争したがってると決め付けてる傲慢さがあるが

 

17:名無しさん


人に言われてやるんかい
その程度の事よなあ

 

19:名無しさん


中国戦線広げる要因を作った石原莞爾が戦争反対唱えても説得力無さ過ぎ

 

28:名無しさん


世界最終戦争論の石原が戦争時代に反対するわけがない
多くの評論家と同様日中戦争には反対していたがな

朝日は朝日OB に対して何を言ったか反論したのかを明かさなければ意味がない

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E7%A7%80%E5%AE%9F
>また、9月23日付の『改造』臨時増刊号でも、局地的解決も不拡大方針もまったく意味をなさないとして講和・不拡大方針に反対、日中戦争拡大方針を主張した。
>こうした主張は、翌1938年(昭和13年)1月16日の第一次近衛声明に影響を与えた。同年『改造』5月号で「長期抗戦の行方」を発表し、
>日本国民が与えられている唯一の道は戦いに勝つということだけ、他の方法は絶対に考えられない、日本が中国と始めたこの民族戦争の結末をつけるためには、軍事的能力を発揮して、敵指導部の中枢を殲滅するほかないと主張、
>また『中央公論』6月号で発表した「長期戦下の諸問題」でも中国との提携が絶対に必要だとの意見に反対し、敵対勢力が存在する限り、これを完全に打倒するしかない、と主張して、講和条約の締結に反対、長期戦もやむをえずとして徹底抗戦を説いた。

>第1次近衛内閣が成立すると、近衛文麿の側近として軍の首脳部とも緊密な関係を保った[6]。
>近衛は尾崎の正体を知った際に驚愕し、「全く不明の致すところにして何とも申訳無之深く責任を感ずる次第に御座候」と天皇に謝罪している[3]。

 

33:名無しさん


満州事変から大衆迎合で戦争賛成に回ったくせに

 

36:名無しさん

>>33
ぎりぎりまで粘ったのは”大阪朝日新聞”
”東京朝日新聞”は別
なんでか大阪朝日新聞の逸話だけで「朝日新聞」がとなってたりすよね


51:名無しさん


欲しがりません勝つまでは って朝日新聞だろ?

 

68:名無しさん


戦争反対と言うよりも、日本のやること反対だからなぁ

 

66:名無しさん


当時のマスコミも政府なんか関係なく戦争を煽っていたんだろうな
コロナ禍の混乱を作り出したみたいに
いつの時代もマスコミなんてない方が平和になる

 

65:名無しさん


敵性語禁止とか言い出したのは朝日新聞だろ
海軍はずっと英語教育やってたのに

 

83:名無しさん


予備役編入されて既に一般人だった石原を軍部の関係者って・・・
この記事書いたやつはアホか