1:名無しさん


■ あの会社がポテチを”おやつ”に

 ”高級菓子”といえば何を思い浮かべるだろうか。
 約70年前、その代名詞はなんと、ポテトチップスだった。

 それは、一般庶民がおやつとして気軽に食べるようなものではなく、現在の価格に換算すると一皿1000円程度の「高級おつまみ」という位置づけだった。ではそんな高級品が、いかにして今の”ポテチ”へと変貌を遂げたのか、歴史を辿ってみよう。

 日本産ポテトチップスの元祖は、1950年に設立されたアメリカンポテトチップ社の「フラ印アメリカンポテトチップ」とされている。同社を設立したのは濱田音四郎。

 彼は戦前にハワイで友人とともにポテトチップスの会社を立ち上げるも、日米開戦にともなって強制収容されてしまう。終戦によって解放され日本に帰国すると、ハワイで培ったノウハウをもとに、同社を立ち上げた。

 起業直後は、駐留していた米軍を相手に「しお味」のポテトチップスを販売していた。「フラ印」のポテトチップスは駐留米軍専用のビアホールや、高級ホテルなどへ限定的に卸している”高級品”だった。

 そのおいしさに感動したのが、「湖池屋」創業者の小池和夫だ。「酒のつまみではなく、お菓子として安く販売すれば売れる」―そんな目論見のもと、味も日本人好みの「のり塩」に変えて「湖池屋ポテトチップス のり塩」を一袋150円で’62年に発売。

 これが当たった。ポテトチップスは一般庶民が買えるおやつとなり、’67年には量産化に成功。その後多くのお菓子メーカーがこの市場に参入していく。

 湖池屋が日本でのポテトチップスの立ち位置を大きく変えたわけだが、「大衆化」に寄与したのがカルビーだ。現在では、ポテトチップス市場シェアの7割以上を占める国内ナンバー1ポテトチップスメーカーだが、市場への参入は遅く’75年であった。ただし、同社は100円という廉価で売り出し、テレビCMで大々的に宣伝。国内市場を爆発的に拡大させた。

 先人たちの知恵に思いを馳せながら、ビールとともにポテチを頬張ってみるのも一興だ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/97b6a4d37b263dff5be708708c4c331122f373dd

 

3:名無しさん


ポテトは野菜らしい

 

4:名無しさん


つまりカルビーは湖池屋のパクリ

 

38:名無しさん

>>4
カルビーは
かっぱえびせんしかまともなお菓子は開発してない
クソみたいに売れたライダースナックは当時の子供はライダーカードだけとってライダースナック捨てまくって社会問題になった
それで得た資金力でポテチ発売時は有名タレントでCM攻勢

8:名無しさん


湖池屋ののり塩は最高

 

9:名無しさん


1番美味しいのはチップスター

 

10:名無しさん


当時とは物が全然違うだろ

 

34:名無しさん


湖池屋はすごい
うまいからすごい
カルビーもより大衆的にしたから偉い
でも味付けは子供向け
BBQは好きよ

 

77:名無しさん

>>34
> カルビーもより大衆的にしたから偉い
> でも味付けは子供向け
湖池屋は塩分強いだけ
むしろ薄味のカルビーのが大人向けと思う

36:名無しさん


プライドシリーズなんかしけってるっていうかなんかパリパリ感ないよねあれ
味はいいのになんかすぐ飽きる

 

40:名無しさん


塩気が強い気がする

 

79:名無しさん

>>40
その通り。成分表見れば湖池屋が多め

43:名無しさん


カルビーは国内の契約農家のじゃがいもを使ってるとCMでやってたと思うが今は国産又はアメリカになってるな

 

44:名無しさん


カルビーが75年の参入ってのが一番驚いた
それまで何を作ってたん?

 

47:名無しさん

>>44
かっぱエビセン

52:名無しさん


子供の頃は湖池屋一択で
まさかのカルビー乱入で

 

61:名無しさん


機械化してない時代はそんくらいするだろうな

 

70:名無しさん


戦後数年は食用油脂に制限あっし
揚げ物全般お高かっただろうな

 

74:名無しさん


フラ印のポテチってまだあるの?

 

235:名無しさん

>>74
イオンで売ってる

76:名無しさん


皮剥き、薄切り、揚げるの工程は単純だけど量が多いよな
まとめて揚げようとするとくっつくし
全部手作業なら今でも1000円くらいになりそう

 

89:名無しさん


湖池屋って日清食品傘下になったんよな

 

98:名無しさん


トップバリューのポテチしか買わないわ
あれ、湖池屋が作ってるから安くてうまい

 

103:名無しさん


じゃがいも自体そこまで量採れてなくて
チップスにするのも手作りでしてた時の値段と比べられても…

 

135:名無しさん


湖池屋よりカルビーのが好きだわ

 

136:名無しさん


野菜のスライサーは戦後に山口県でベンリナーという会社が作ったのが始まりで
それまではもっぱら包丁だった

 

153:名無しさん

>>136
戦時中にスライスして兵隊に栄養を取りやすくする為に作った

173:名無しさん


一袋あたりの量は明らかに減ったよな。20年くらい前の三分の二くらいだよ

 

183:名無しさん


>>1
> 一袋150円で’62年に発売。

1962年の150円じゃあ、
充分高級品だけどな。

 

185:名無しさん


カルビーがポテチの先駆者だおと思ってたが、小池屋だったのか

 

188:名無しさん


フラ印のポテトチップスって日本のメーカーだったのか
カルディで売ってるから輸入品だと思ってた(照

 

214:名無しさん


岩手だけど湖池屋なんて売ってなかった
1980年あたりにカルビーが初めてきた

 

215:名無しさん


昭和時代に箱に入ったお徳用ポテチがあって
油でギトギトしてたな

 

227:名無しさん


ジャガイモを油で揚げたもんだからな。
コーラやカップ麺とおなじく世の中に無いほうがいい食品。
ほんと、美味しいよね。

 

229:名無しさん


丸の内の特等地で我が物顔でふんぞり返る製菓最大手カルビーよりも
辺境(本社内に県境が走る)で頑張る湖池屋を応援したい

 

191:名無しさん


カルビーシェア7割って圧倒的だな
カルビー4 湖池屋4 その他2くらいのイメージだわ

 

176:名無しさん


同級生のお母さんが自作のポテチ作ってくれて、これがうまかった。醤油味でさ。
当時、ポテチといえば塩かコンソメだったんで、醤油は珍しかった。