テレホーダイ……今から20年以上前1995年夏に開始されたNTTの固定電話向けのオプションサービスの名前ですが、今の人は知らない名前かもしれませんね。
90年代に登場したこのサービスはインターネットユーザー、特に当時をリアルタイムで体験した人たちの青春の1ページであったと思えるのです。
この懐かしい名前のオプションサービスが2023年9月に受付を終了し、2024年1月にサービスを終了することが決定しています。今回はこのサービスについて少しだけ当時を体験した筆者がお話をさせていただきます。
■ 当時のネットユーザーにとっては「神」サービス
電話料金が定額制なんてものが存在しない時代に、夜23時~朝8時までの時間帯に限り定額で指定の番号に関しては通話し放題になるというサービスで、本来はネット利用のためだけに存在したサービスではありませんでした。
まあネットユーザーからすると本当にありがたいサービスで、この指定の番号にプロパイダーから提供された接続先を指定するのがテレホユーザーのお決まりでした。
ちなみに1995年って何があったかな、と考えていたのですが一番大きな話題は「Windows95」が発売開始されたことですね。
インターネットというか、その前の時代では「パソコン通信」と呼ばれていまして、ネットワークサービスはすでに存在していましたが割と敷居が高く高額な利用料金と通信費用がかかるため一部のコアユーザーしか利用していませんでした。
また今でこそネットカフェは至る所にありますが、この時代はそんなものは存在しておらず、筆者は学生時代のフィールドワークで日本初のネットカフェを取材したことがあり、これからインターネットの時代だなあとか思ってました。
「Windows95」の発売により一般ユーザーにグラフィカルなGUIの提供やネットワーク機能の大幅な改善などが施され秋葉原の電気街でこの最新型のOSを行列を作って買い求めるパソコンユーザーの姿が連日メディアにて報道されたのを記憶しています。
筆者の肌感覚では「Windows95」は起爆剤としての役目を果たし、三年後に登場する「Windows98」で本格的に火がついたと思っていますがそれでもこの「Windows95」の登場はセンセーショナルな驚きがあったんですね。
あと有名どころとしては「新世紀エヴァンゲリオン」(1995年10月4日放映開始)が放映された時代でもありこの時代は実は色々なエンタメ、サブカル、そしてサービスの転換点となった年にもなっています。当時は全く気がついていませんでしたが、Amazonがアメリカでオンライン書店としてのサービスを開始した年もこの年なんだそうです。
■ 「テレホに入れ」が合言葉
当時はブロードバンドなんて言葉は存在せず、みんなパソコンに増設(もしくは内臓)されたモデムを電話回線に繋いでインターネットに接続をしていたため、通常の通話料金が掛かっていたため長時間の接続は御法度。電話料金が上がってしまうと親に怒られてしまう……なんて家庭も多く存在していました。
夜の間だけ定額料金になるということで、インターネットを利用するならテレホーダイは必須と言われ、あらゆる指南本ネットに詳しい人などに聞くと「テレホに入れ」が合言葉だったように思えます。
全文はこちら
https://otakei.otakuma.net/archives/2023010507.html
照れ放題
>>2
(っ´ω`c)マッ…
>>2
(〃▽〃)
まだあったんだ!
「ニフティサーブに接続しました」
>>6
新しいメールが届いています
今週のお知らせがあります
ご利用ありがとうございました
その前にダイアルアップ回線がなくなってしまったから途方に暮れたわ
テレホマンって一体何者だったんだ?
>>7
例えるなら宇宙を翔ける一筋の流れ星
テレホなんて存在あんま知らなかったな
テレホが死んでから2chで見たぐらい
ド田舎でISDNすら来なかった頃に親父がネット繋いで深夜やってたな
テレホマンありがとう
まだあったの?
23時になると鯖が重くなる
ドリキャスでお世話になりました
>>20
俺もドリキャスでお世話になった
ファンタシースターオンラインで朝まで遊んだ思い出よ・・・
え、まだあったの?
ネットの本番時間が23時な常識が抜けないよな。
今もネトゲの人口多いのは23時代だろ?w
テレホマンなんて今どきの若いやつは知らんのでは
8時に回線切れてなくてえらい目にあったな
テレホーダイ出るまで
確かニフティの有料ゲームコンテンツに毎月数万
それに加え、NTTの9600bps従量電話接続に5万円くらい払ってたかな
8時だヨ!全員切断 ってソフト入れて、
寝落ちしても切断できるようにしてたな…
23時から東風荘に入り浸った。
存在は知ってたが住んでるマンションが異様に早い時期にjcom入れたお陰で使ったことない
>>43
実家のマンションはADSL導入は老人どもの猛反対で立ち消えになったが
光ファイバー導入になると自治会メンバーが若手になり即賛成w
テレホタイムにICQで連絡とってチャットに集合な青春
英文検索でalsscanにたどり着いた
懐かしい夏の夜
なんだ、狩場が急に混みだしやがった、、テレホタイムか
niftyでCBシミュレータ
コマンドはで手で打ってた
懐かしいな
ウルティマオンラインが俺の住む世界だった
毎月「みかか」から熱いお手紙が来ていた
夜は苦手なので朝6時起きしてた。
23時ではプロバイダが満員で弾かれるから
5分フライングしてた。
CPUはPentium2 350Mhz
HDDは大容量10GB
メモリは64MB+128MB
回線速度は爆速128kbps
とかだったな。
ICQよく使ってた。
>>70
HDDは大容量10GB
今じゃ4K動画も収まらんw
>>70
440BX のマザーにCeleron 300A MHzでFSB100にしてSDR PC100の128MBのメモリーを4枚刺し
S3Savage4
>>70 IOデータのAthlon766CPUアクセサレータをPC98NXに換装しMatroxG550搭載でフォトショップやってたわ
まだあったことに驚愕
こんな楽しかった時代は二度と
来ないよ(>_<)
こん、おはつよろとCGIチャットして
Tripodで色々ダウンロードしたあの頃
64Kbpsでネットしてた時代もございました
>>84
学生寮に個別回線引けなかったので
DDIポケットの32kbpsで通信してました。
いろいろモデム設定して、いろいろPC設定して、DOS画面にニフティー接続しましたの文字が出たときは感動したなぁしたなぁ
マイラインとかちょっとでも課金を安くする方法を必死で探したもんだな
しかし11時からって殺生だなぁ
寝不足確実やん
>>98
これで単位3つくらい落とした。
パソ通の友達はすでに何人も鬼籍
電話回線で
10kbpsしか転送速度がでない時代
だがあの時代は輝いていたな
まだあったことに驚いた
朝の6時までとか勘違いしてる人も多かった
23時からってメチャクチャだな
毎日が寝不足でフラフラじゃん
日本に少なからずダメージを与えたんじゃないの
>>127
ぶっちゃけ、仕事なんかそっちのけでネットやってた
>>127
日本経済に2%ぐらいダメージ与えてそう
大学留年とか会社サボって辞めた人とか少なからずいただろ
中には受験棒に振った人とか
テレホタイムにセレロンPC56Kモデムでリクルートの劇重サイトに接続して就活。あかんわ。
UOにハマってたころ、テレホタイムは重いし待ちきれないから夕方とかちまちまログインしてたら、電話代が凄いことになって親から怒られたっけ
裏本画像1枚落とすのに、どれだけの時間がかかったか
毎日徹夜に近い状態だった
俺は1200bps時代から始めたからなw
PCVANwww
98年頃の電話線での速度は56kbpsだったなあ
アナログ音声回線での最高速度
動画はおろか静止画もかなり待たないと届かなかった
無線ではケータイ回線が9.6kbpsで文字のやり取りするのがせいぜいだった
2000年以前にADSLで電話回線の空き領域を使って速度が出た、ただしNTTの基地局から近くないと速度は出なかった
48Mbpsを宣伝で歌っても1M出ないなんてザラだった
光回線が増え始めたのもここから数年
100Mbps出はじめて動画が見やすくなった
今現在、mineoの夜間フリーを利用するために平日の11時過ぎにほぼ同じ事ことやっている俺がいますよ
まだ生きてたんかワレ、、って存在
エロサイト見るとダイヤル回線書き換えられてしまうんだよね
謎の国際電話料の請求がきて慌てる
>>1
懐かしいな
23時はアクセスポイントが混雑してウザかったのはいい思い出
フレッツADSLも今月で終了らしいが、テレホーダイなんてまだあったのかw