日本人の主食は江戸時代、米だった
— Dr. Shintaro Sawayama (@sawayama0410) July 27, 2024
↑
これは間違いです。
日本人の主食はずっと「里芋」でした。
主食が米になったのは明治時代や大正時代になってからです。
1861年(文久1年)の統計がありますが、里芋はその他の中に入るんでしょうが、主食に占める割合はわずかで、その他を全部ひっくるめて主食の3%です pic.twitter.com/ZyQJv2tOO6
— コロリョフ親方 (@nanana277) July 28, 2024
里芋を作ったことがない人の戯言。
— トドお父さん@水曜日はヤクルトファン (@powpher) July 28, 2024
里芋の時期は10月~11月。
保存しても1か月くらいしかもたない。
春から夏の間はどうするのか?https://t.co/Gpt5dQLpyI
それほど歴史に詳しくはないけど、白米ばっかり食ってたから江戸時代は脚気(かっけ)が非常に多かった。
— トウタリング ひみつキッチン (@tohtering) July 31, 2024
ってことくらい知ってますよ〜
相変わらず浅く適当な知識を弾けらかすんだね「博士」少なくとも室町時代後期の圧倒的生産品は米。江戸時代都市部での米の消費量は一人当たり1日一升と記録が残っている。農村部の夏場頃などの米が不足する場合を除き一番食し易いのは米。何処で仕入れたネタか知らないが、白米で無くても主食は米
— yoshi.t (@yoshit88062567) July 27, 2024
庶民は粟と稗のイメージ
— 榎本貴規(Enomoto Takanori) (@kiki_0402) July 28, 2024
里芋は初めて聞きました
江戸時代以前の主食は、普通に糧飯だったと思いますがね。
— 村串 正治 (@UMxiRGtiE5D9EMU) July 27, 2024
里芋は連作障害があるので、主食の作物には不向きです。
江戸時代の年間石高は概ね3000万石。ちょうど江戸時代の人口3千万に近い
— 旅一郎 (@tabiichiro) July 28, 2024
1石で成人一人の年間米消費量とイコールとすると、米を使った日本酒や酢などに転換されたものを除いてもほほ全国民に行き渡ると思うのですが。
2000万石も米作って、それはどこいったて話。
— 影咲シオリ@小説系Vtuber (@ShiworiKagesaki) July 31, 2024
保存期間の短さは他の人が指摘してるけど、里芋という食材のネックは芋洗いの工程
— ootou (@Tarohi181) July 31, 2024
手作業でやるにはあまりにも時間がかかるので、農家は用水路に小さい水車をかけて自動化する方法を編み出したわけだがそんな手間暇が非常にかかるモノが主食になるワケねえだろ、バーカ
いや、フツーに「稗粟黍」がまず出てこないと。
— B_BLUE_HEARTS (@BBH_X01) July 31, 2024
それに米と麦を加えたのが五穀
五穀豊穣って、今でもいうでしょ?「芋」は主食に入ってないんだよ。 https://t.co/XP98RHxEW6
戦国時代は普通に米が基準のはずなのに、江戸時代で急に里芋になったの?
— 出水 (@izmktr) July 31, 2024
連作障害が起きないという凄まじいメリットが有るのに、生産性の悪い里芋に主食が変わった理由はなぜ?
人口が増えた、なら、五穀にシフトするんじゃないかなぁ…? https://t.co/tF4XSjeu7c
面積当たりの生産性が圧倒的に高いのが米。アジア米作文化圏の人口が多いのはそれ故。
— 狸犬 (@penta_fa43) July 28, 2024
米作が可能なら人はまず米を植える。その土地で養える人口が全く違うから。 https://t.co/1nChfyQWEC