1:名無しさん




大江健三郎『破壊者ウルトラマン』(『世界』73年5月号)

大江健三郎は、1970年代初頭の日本社会において、怪獣映画やテレビ番組が子供文化を圧倒的に支配している状況に警鐘を鳴らす。これらの作品は単なる娯楽にとどまらず、大人たちの想像力が子供の世界に強烈なメッセージを送り込む手段として機能しており、現代社会の恐怖――とくに核兵器や大規模災害といった破壊的現実――を怪獣のかたちで象徴的に再現している。だが、現実の世界にはウルトラマンのような超人的ヒーローは存在せず、子供たちは虚構によって「救済の物語」を刷り込まれながら、実際には何も解決されない世界に生きている。

人間は本来的に「異常」や「異形」に対する想像力を持つ存在であり、大江はこの点についてモンテーニュや渡辺一夫の引用を通して考察を深める。しかし、怪獣番組が日常的に放送される状況では、その想像力が一方向に操作され、やがて現実世界に対する感受性さえ麻痺する恐れがある。しかも、そこに登場するヒーローたちは、銀色のボディに象徴されるように「科学の権化」として描かれており、人間の無力さと対比される形で科学技術への盲信が助長されている。

ウルトラマンのような存在は、自然破壊や社会問題には無関心で、むしろそれらの現実から視線を逸らす役割を果たしている。そして、作品の中で繰り返される都市の破壊は、その後の復興や被害に対する言及もなく、「破壊の余韻」を全く描かないまま物語が次へと進んでいく。この構造は、ベトナム戦争におけるアメリカの「名誉ある撤退」と、それを映し出すメディアの構図にも重なる。つまり、大江は、怪獣番組が子供たちのリアリズムや倫理感、さらには現実との向き合い方そのものを壊していると批判している。

http://www.cercle.co.jp/blogs/?p=446

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何回か書きましたが、この時代は担当教師と日教組が「子供達を怪獣から卒業」のキャンペーン張って、家庭に持ち帰る広報には「勉強に邪魔で落ち着きがなくなるので怪獣から卒業させましょう。」と書かれ、家庭訪問で玩具でもあろうものなら処分するように指導、小学館の学習雑誌も勉強に不用な幼稚な本扱いで、他校では教科書の大江健三郎の『破壊者ウルトラマン』が教材でした。