1:名無しさん




金剛組は成長路線をひた走ったが、売上高は1999(平成11)年の130億円をピークにどんどん低下していく。利隆は業績悪化の原因を、その著書のなかで「不得手な分野に手を出してしまったからだ」と述べている。

木造の社寺とコンクリートの一般建築では工期設定、コスト管理、営業手法がまったく異なるが、金剛組は木造社寺を建築する感覚のまま、コンクリート建築を行っていた。コンクリート建築の分野では大手ゼネコンがライバル。金剛組は大手ゼネコンと同品質の建物を作ることはできても、仕入れ価格や工事費の競争では勝つことはできなかった。赤字工事が多く借金が膨れあがった。役員給与はもちろん、社員のボーナス、給与をカットしたあげく2004(平成16)年には希望退職を募らなくてはならない状況に追い込まれてしまった。宮大工への工賃も数回引き下げざるをえなかった。

会社更生法と民事再生法、どちらを申請したらよいのか、切羽詰まる状況となった2005(平成17)年。東証1部上場の中堅ゼネコン髙松建設が支援の手を差し伸べた。金剛組と髙松建設はどちらも大阪が地盤であるし、メインバンクがりそな銀行だった。りそな銀行が髙松建設に金剛組の救済を頼んだところ、髙松孝育会長(当時)が「金剛組を潰したら大阪の恥や」と応じたのだった。

2005年11月、髙松建設が全額出資して、新しい金剛組を設立。2006(平成18)年1月、従来の金剛組から新しい金剛組へ営業権を譲渡するとともに、従業員の大半を移籍させ、宮大工との関係もすべて維持したうえで新たなスタートを切った。一方、従来の金剛組は負債を受け継ぎ、同年7月に自己破産し、一連の手続きが終了した。

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