40年前父アサドの時代の恐怖の統治とはどういうものだったのか。
— masanorinaito (@masanorinaito) December 10, 2024
ある日大学から家に歩いて帰る途中、道路に要人通過の為停止線が張られた。一台の軍のジープが停止線を越えてしまった。
その途端に周辺のビルの屋上にいた狙撃手によって一斉に機銃掃射を浴びてあっという間に車は蜂の巣のようになった
通りの横を歩いていたが、こういう時は絶対走るなと友人達から教わった。狙撃手は動いている物を撃つからと。同じ歩調で歩いていくと、私の右にあるアメリカンスクールの塀に銃弾が食い込む音がついてくる。角を曲がった後、膝から崩れ落ちて立てなかった。普段は何もないのだが突然こういう事が起きる
— masanorinaito (@masanorinaito) December 10, 2024
そして数分後には、すべてが片付けられ、何事もなかったかのように「日常生活」に戻るのである。誰もその事を喋らず、勿論、報道される事もない。
— masanorinaito (@masanorinaito) December 10, 2024
日常的にこういう経験をしながら、市民は息を潜めて暮らしていた訳ではない。スークは賑わい、美味しいものを食べショッピングも楽しむ。お喋りは楽しみだが、決して政治の話はしない。フィールドをトルコに移してからも長年この習慣は抜けなかった。
— masanorinaito (@masanorinaito) December 10, 2024
すごい話だ。車が蜂の巣😮。30数年前シリアで実際に発砲現場に居合わせたのは、結婚式、アサド再選の時、年末、それから秘警が私の乗りたかったバスを追いかけて発砲して止めてくれた時くらい😅。 https://t.co/coNjmDi3SP
— マルヌ河畔緑のリス (@24juillet) December 10, 2024
こまかくて悪いんだけど、機銃掃射で狙撃って言わんよね。 https://t.co/T1ijw1JZoc
— 狸縊死之事© (@Hanged_Monster) December 10, 2024
身内の軍にも容赦ないのか…
— Hidechi🦈 (@fancy7722) December 10, 2024
そりゃ軍も政権見捨てますわ https://t.co/u6xjJbfAgO
内藤先生のアサド(特に父)独裁の強烈な記憶。必読。 https://t.co/sXf8qoFOYZ
— 森森森【Mr.ごまめの歯ぎしり】 (@morimori_naha) December 10, 2024
この4つの連ツイを読むだけで、ガルシアマルケスの短編か、コスタガヴラスの映画を見た気分になる強烈さである。 https://t.co/sXf8qoFOYZ
— 森森森【Mr.ごまめの歯ぎしり】 (@morimori_naha) December 10, 2024
私の経験は1980年代の初めのこと。それから20年後もまったく同じ経験をされている。恐怖の統治の継承とはこういうことです。 https://t.co/GAgQLDdwSv
— masanorinaito (@masanorinaito) December 10, 2024
私がシリアのダマスカスに1年住んでいたのは2000〜2001年。ちょうどハーフェズ・アサドが亡くなり、次男のバッシャールに政権交代したばかりの年だった。
— 中村小夜✨さや (@saya_moon2) December 9, 2024
私は今までエジプトや旅の話はあちこちでしてきたけど、シリアの政治の話はやはりタブーだった。当時ダマには30人ぐらいの日本人が住んでたけど→
イカーマ(在留許可書)を取って住んでる日本人はシリアの独裁恐怖政治のことはもちろん承知していたので、外では絶対に政治の話はしないこと、してると疑われるだけでも危険なので、大統領一族の名前なども別の愛称で呼んでいた。外国人としては保護されてるけど、同時に監視されてるのも知っていた→
— 中村小夜✨さや (@saya_moon2) December 9, 2024
もちろん、あからさまに監視されてるわけではない。町にはムハーバラートと呼ばれる秘密警察がいたが、外見でそれと分かる人と、普通の人のふりをして生活に紛れ込み、反政府的な疑いのある人を密告する役目の人がいた。だから、いつどこで誰が監視してるかわからないという状況になる→
— 中村小夜✨さや (@saya_moon2) December 9, 2024
こうなるとシリア人たちはお互いに疑心暗鬼になり、人との深い関わりを避けたり、上辺だけの付き合いをして保身を図るしかなくなる。ある日突然、全く身に覚えのないことで密告されたら、逮捕状すらなく「強制失踪」させられる。そんな人たちが閉じ込められていた監獄が、今次々と開かれている→
— 中村小夜✨さや (@saya_moon2) December 9, 2024
ある日私はサルミーヤという砂漠寄りの町を旅していて、小さな本屋を見つけた。そこで本を物色していると店主のおじさんがお茶を出してくれて、いろいろ話すうちに、自分は20年間監獄にいたんだ、と打ち明けてくれた。たぶん、外国人だから逆に話しやすかったんだと思う。→
— 中村小夜✨さや (@saya_moon2) December 9, 2024
たとえ解放されても、20年もたっていたらもう知り合いも散り散りになり、結婚の機会もなかった。神様を信じることもやめてしまった。あ、お茶の砂糖は何杯?と聞かれ、私が「3杯」と答えると、彼は笑って「あんた、シリア人みたいだね」と言った。そうしてしばらくとりとめのないことを話した→
— 中村小夜✨さや (@saya_moon2) December 9, 2024
その本屋は、地域の人たちの集まり場になっていたのだろう。やがて他のお客さんが入ってきておしゃべりを始めた。私は邪魔になるかな、と思って、もう行くね、と言うと彼はすがるような目で、ちょっと待ってて、まだ話したいから、と言ったけど、新しいお客さんもいるし、私はお別れを言った→
— 中村小夜✨さや (@saya_moon2) December 9, 2024
すると本屋の店主さんはゴミ箱から紙を拾い上げると、その場ですらすらと詩を書いて、私に渡した。私は「ありがとう、私は今日、この言葉を受け取るためにここまで来たんです」と言って店を出た。
— 中村小夜✨さや (@saya_moon2) December 9, 2024
その詩は何かの引用か、彼が思いついたのかわからない。私はいまだにうまく訳せないでいる→
そう言えばあの紙切れはどこへ行ったっけ? 今なら機械翻訳がそれらしく訳してくれるかもしれないけど、当時の私がたどたどしく読んだままを思い出すと
— 中村小夜✨さや (@saya_moon2) December 9, 2024
歩みゆく者は道を行き
道を行く者は歩み続ける
そんな感じ。たぶん誤訳だろう。
あの地に今も本屋さんはあるだろうか?