卒業生からメールがあって、小学校4年生の息子さんが「それってあなたの感想ですよね」に対抗できる言葉を日々ネットで探しているそうです。学校で言われてよっぽど悔しかったらしい。何か適切な「返し言葉」はありませんかと訊かれました。こんなご返事をしました。
— 内田樹 (@levinassien) May 12, 2024
「これって個人の感想でしょ」というのは知性の価値を認めない反知性主義的言明です。どのような科学的仮説もある意味では「個人の感想」です。でも、専門家が学術的に厳密な仕方で導いた「仮説」は、素人がネットをぱらぱら見て思いついた「仮説」とでは「真実である程度の差」が天地ほどもある。
— 内田樹 (@levinassien) May 12, 2024
僕たちが本を読んだり、人の話を聴くのは「宇宙の真理」を会得するためではありません(それは凡人には無理)。そうではなくて、さまざまな「個人の感想」の間に歴然と存在する「真実含有量の差」をみきわめる知力を身につけるためです。この世の中で僕たちが出会う問題の99%は「程度の問題」です。
— 内田樹 (@levinassien) May 12, 2024
個人の感想にも、賢愚真偽良否の程度差というものがあります。その程度差をみきわめる能力を「知恵」と言います。あらゆる言明を「それって個人の感想でしょ」で切り捨てる人は「真実である蓋然性が高い言明」と、まるっきりの妄想や嘘の間の差に自分は関心がないと言っているに等しい。
— 内田樹 (@levinassien) May 12, 2024
「それって個人の感想でしょ」というのは「味噌も糞も」茶色いから「月もすっぽん」も丸いからという理屈で同一カテゴリーに括り込む横着もののやり口です。ですから「返し言葉」には「君のようなやり方を古い言葉では『糞味噌』というのだよ。意味は国語辞典で調べなさい」がいいかも知れません。
— 内田樹 (@levinassien) May 12, 2024
いやいや個人の感想で社会に働きかけよういうなら、そりゃ情治というしか無いでしょう。天地の差とやらは証明実績がなけりゃ生まれない、学術とは知識を術として共有可能な思考技術に昇華され評価される事で初めて専門家という権威になる。言語化して証明できなきゃ有象無象の感想と同列でしかない
— ばけちゅ (@bakechu20xx) May 12, 2024
証明できなければ、個人の感想だろうね。
— 田辺治 (@mickey_mickey_m) May 12, 2024
まさかとは思いますが念のため指摘しますと、反知性主義とは知性の価値を認めないのではなく、反権威主義、反エリート主義のことです。知の巨人として有名な内田さんの言説だからと言って無批判に受け入れない、という考え方です。
— 甲斐貴也 KAI Takaya (@ugj23993) May 12, 2024
『データありますよ』で全て解決するのに何をくだらない言い訳してんだあんた。バカじゃねーの?
— bonzo (@bonzo55223682) May 12, 2024