現在、池袋PARCOにて「DOMDOM POP UP SHOP」を開催中の『ドムドムハンバーガー』(以下、ドムドム)。ドムドムは1号店が1970年にオープンと、“日本初のハンバーガーチェーン”だ。イベントでは冒頭に題された“社史”的な年表が展示されている。
《ざっくりドムドム史》
社史とは本来、創業以来残されてきた“記録”などをまとめ、詳細に記されたものが一般的だ。しかし、ドムドムのそれは文字通りざっくりしており、2010年以降にならないとほぼ情報がない。※“失われた40年”期に、藤崎忍現社長が(ドムドムではないが)“アルバイトで飲食の道に”という記載はあり。
「いざ年表を作ろうとしたら、記録がほとんど残っていない」「社員も何だか、うろ覚え……。」(ドムドム史より)という状況で作られた年表は、創業年である1970年は特に情報はなく、創業初期にあたる1989年から近年2010年までを、“失われた40年”としている。その期間に関する情報はただ1つ。《合い挽き肉から100%ビーフパティに》のみ。
このドムドム史が今、ネットで非常に話題を呼んでいる。
《ドムドム史、失われすぎ》
《失われたというか、ほぼ残ってないと言うべきだこれwww》
《40年失われてるの草》
《ざっくりが過ぎる》
開催中のイベント、話題の社史を手掛けた株式会社ドムドムフードサービスの広報担当者、そしてドムドムで最も社歴が長く“失われた40年”を知る最古参社員に話を聞いた。記録がないなら、“記憶”はどうか──。本当にドムドム史は失われているのか……。
「なぜドムドムの歴史が残っていないかというと、運営会社が幾度も変わっていったという事情があります」
そう話すのは、株式会社ドムドムフードサービス広報担当の近藤彰さん。
「当社は以前の運営会社からドムドムハンバーガーを2017年に譲り受け、現在に至っております。そのため、2017年以前の明確な過去記録がほぼ残っていないのが現状でございます。
運営会社の変更時に、すべての情報が伝達されるということは難しいのかもしれません。例えば、広報資料として引き継いだ情報は、過去に販売された期間限定バーガーの資料や商品写真、店舗写真の一部がございます。写真もフィルムなどは残っておらず、プリントされた写真の原本です。
当社がオフィシャルで情報発信するには証跡がないものが非常に多く、公表できる情報量が乏しくなってしまったため、“失われた40年”とあえてゆるいフレーズで表現にさせていただきました。
また、以前よりYouTubeやSNSなどで“バーガー界の絶滅危惧種”などと表現されることもあり、今回もそれに準ずるような表現となりますが、ドムドムハンバーガーという50年以上の歴史あるハンバーガーショップに思い出・愛着・期待を持っていてくださる方たちが数多くいらっしゃることを非常にうれしく感じております」(近藤さん)
全文はこちら
https://www.jprime.jp/articles/-/28363
唐揚げチキンバーガー週末200円の頃はお世話になった
無くなってからは割高感あっていってない
ダイエーの生き残りだっけ?
近所にダイエーがあった頃はマクドよりお世話になったわ
いつ食べてもなんか水っぽいバターコーンが妙に好きだった
同人社史作らないと
コーヒーは3種類あってお代わりし放題だった
唯一行ったことのあるドムドムがいつの間にかドトールになってた
ドムドム行って
バターコーン食べて
ジュークボックス眺めたくなってきた
量産型だったかのように
自販機から出てくるような紙に包まれていた
1988頃一畑百貨店前のドムドムハンバーガー行ったわ
普通のバーガー
秋田市民はマックが来る前は唯一ダイエーに入っていたドムドムかハンバーガーを食う手段たったな(県立スケート場の自販とか無しな)
今はダイエーそのものが更地で思いでもへったくれも無い
フライドポテト美味しかった
太くて
ドムドムはファンが多いから一回ファンミーティングでも開いて昔話を懐かしめば完成するじゃろ
その場でできる限り昔のメニュー再現したりしてな
バズ狙いだろ、社内に残ってなくても
業界新聞の過去記事検索で調べられる
沖縄のエンダーのが先やろ
60年代からあるし
沖縄の店舗は現地ダイエー子会社の「ダイナハ」(のち吸収されてダイエー那覇店)にあったな
この頃はダイナハの賑わいとともに賑わってた記憶あり
それ以外の「ダイナハ系列店(およびダイエーの那覇店以外の沖縄店舗)」にも出店してたかは記憶にない
日経ELECOMで検索すればいいやん
客全然いないよな
まあ安いから行くこともあった
武蔵境駅の南口の店は中学の時よく行ってたわ
マックより安くて客が居なくて快適だった