https://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20220106/5010014407.html
インターネットが家庭に登場する以前のおよそ40年前に、国が全国の自治体で始めた「テレトピア計画」と呼ばれる事業で、その必要性を問われながら事業を続けてきた久留米市が事業から撤退することがわかりました。
この事業をめぐっては、その後の時代の変化で多くの自治体がすでに撤退するなか、久留米市は、事業を担う第三セクターに対し、売り上げの7割にあたる業務を長年にわたり発注し、自治体が関与する正当性が問われていました。
「テレトピア計画」は、昭和58年に当時の郵政省がケーブルテレビや電話回線を使い、ニューメディアと呼んでいた通信サービスの普及を提唱し、全国218の地域で事業が進められました。
このうち、福岡県久留米市は、テレトピア計画に基づいて昭和60年に第三セクターの「久留米・鳥栖広域情報」を設立しました。
しかし、その後、インターネットの普及など時代が変化し、多くの自治体が事業から撤退するなか、久留米市の第三セクターは、長年にわたって運営を続けてきました。
ただ、業務の実態は、久留米市のホームページの制作やシステム管理などテレトピア計画とは関係のない事業を行い、売り上げのおよそ7割を久留米市からの受注に頼る形となっていました。
関係者によりますと、久留米市は、この第三セクターについて、久留米市に本店を置く「筑邦銀行」などでつくる合弁会社に株式を譲渡し、事業から撤退することがわかりました。
「久留米・鳥栖広域情報」の社長には、久留米市に本社がある「久留米ガス」の元社長が就任する見通しで、筑邦銀行は取締役を送る予定です。
筑邦銀行は、今後の成長が見込める中小企業向けの支援事業などに力を入れる形で事業の立て直しを進める方針です。
今回の撤退について久留米市は、本来は民間企業が担うべき事業であり、早く撤退すべきだったとしています。