1:名無しさん




日章丸事件

一方、日本は第二次世界大戦後、イギリスやアメリカなどの連合国による占領を受け、占領終了後も両国と同盟関係にあるために独自のルートで石油を自由に輸入することが困難であり、それが経済発展の足かせとなっていた。イラン国民の貧窮と日本の経済発展の足かせを憂慮した出光興産社長の出光佐三は、イランに対する経済制裁に国際法上の正当性は無いと判断し、極秘裏に日章丸(タンカー・同名の船としては二代目)を派遣することを決意。イギリスとの衝突を恐れる日本政府との対立も憂慮し、第三国経由でイランに交渉者として専務の出光計助を1952年に極秘派遣。モハンマド・モサッデク首相などイラン側要人と会談を行う。

イラン側は、各国の企業と条件面で合意しても実際の貿易には全く結びついていない前例と、当時国際的にはほぼ無名の中小企業に過ぎなかった出光を見て初めは不信感を持っていたというが、粘り強い交渉の末に合意を取り付け、国内外の法を順守するための議論、日本政府に外交上の不利益を与えないための方策、国際法上の対策、法の抜け道を利用する形での必要書類作成、実行時の国際世論の行方や各国の動向予測、航海上の危険個所調査など準備を入念に整えて、日章丸は1953年(昭和28年)3月23日午前9時、神戸港を極秘裏に出港する。

航路を偽装するなどしてイギリス海軍から隠れる形で、日章丸は4月10日イランに到着。この時点で世界中のマスメディアに報じられ、国際的事件として認知された。日本においても、武装を持たない一民間企業が、当時世界第二の海軍力を誇っていたイギリス海軍に「喧嘩を売った事件」として報道され、日本では連日新聞の一面記事で報道された。

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