1:名無しさん




煉獄さんの自己犠牲はなぜ崇高か 滅私を超えた鬼滅の力

 ――映画に危うさも感じたそうですね。

 「鬼たちの組織はいわば超絶パワハラ企業ですが、それと戦う主人公らの属する鬼殺隊も、ある意味では大義のための自己犠牲は仕方ないという組織です。鬼と戦い、子どもたちは次々に死んでいきます。煉獄杏寿郎(きょうじゅろう)が部下の若者たちを守るために戦うシーンは、あまりにも美しくエモーショナルでしたが、最初見た時には、感動しながらも危ういかなと感じました」

 ――その理由は?

 「特に日本のような社会では、組織や大義のためなら、誰かの犠牲はどうしようもない、とする思考につながらないかという不安がありました。煉獄さんの場合は、母に課された『弱き人を助けることは強く生まれた者の責務だ』というノブレス・オブリージュの哲学を胸に、一人ではクリアできない重すぎる課題に立ち向かって、満身創痍(まんしんそうい)になっていきます。でも、現実の組織論でいえば、個人の犠牲を美談にせずに、特定の誰かに過剰な犠牲や負担を押し付けないシステムをつくることの方が重要ではないでしょうか」

 ――なるほど。でも、やっぱり私は感動してしまいます……。

 「そうなんです。危うさを感じる一方で、僕も煉獄さんの自己犠牲の『崇高さ』については疑えないところがありました。そもそも自己犠牲には、微妙な両義性があるのではないか。他者や目的のために自分をなげうつ尊さがある一方、国や会社のために滅私奉公して使い捨てにされたり、燃え尽きさせられたりするという側面もあります」

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